こちらの天神社は、JR唐津線鬼塚駅から南南西に1kmほど離れた、佐賀県唐津市養母田地区に鎮座されます。
国道202号線の「唐津市養母田」の信号機から、西に入った標高207mの高尾山の東麓の養母田集落のほぼ中央の小丘の上に位置し、石垣が組まれた石段参道入口に幟杭が打たれ、石段を上がると一対の石灯籠と「天神社」の神額が掛かる鳥居が建立されています。
石灯籠の横に「急傾斜地崩壊危険区域」の立て看板が設置されていたので、周囲を見渡してみると神社の東側一帯は土砂の崩壊の痕跡が残っており、東側の斜面はコンクリートブロックで補修されているものの、真砂土が敷かれた地盤はまだ固まってはおらずブヨブヨとした感触が残ります。
鳥居をくぐり、急な角度の石段を上がった先の境内には二の鳥居が奉納され、切妻造の拝殿の前には文政四年生まれの狛犬灯籠一対と、明治二十九年生まれの蹲踞の参道狛犬一対が奉納されていますが、険しい表情が特徴の古い唐津型とは一線を画すとても柔和な表情をしています。
拝殿の中には武者が描かれた色褪せた二枚の奉納絵馬が掲げられ、その奥には格子戸が開けられた本殿覆屋の入り口が見え、掛けられた奉賛者名の額を見ると昭和六十三年に社殿改築とあります。
境内の西側には藤棚が設けられており、花の季節になると藤の花を愛でながら参拝に訪れる氏子さんもいらっしゃることでしょう。

社頭。
しっかりとした石垣が組まれ、石段参道前の両脇には幟杭が打たれています。
左側の立て看板には「養母田急傾斜地崩壊危険区域」と書かれています。

入り口から東側に廻ってみると、たしかに大規模な土砂崩れの痕跡が残っていました。
神社の斜面はコンクリートブロックで補修されていたものの、真砂土が敷かれている地盤はまだ固まってはおらず、歩いているとブヨブヨとした感じが体に伝わってきます。

一の鳥居。

「天神社」の神額が掛かります。

急傾斜の石段参道が上の方に伸びています。
参道脇に奉納された石灯籠。
向かって左側の石灯籠は「文久三癸亥十二月吉日」、右側は「慶應三年丁卯十一月吉日」の刻銘が入ります。

上の境内の様子。

二の鳥居。

「天満宮」神額が掛かります。
左の柱には「奉寄進神門一基」刻銘が入ります。

瓦葺切妻造平入の拝殿。
拝殿前には狛犬灯籠一対と参道狛犬一対が奉納されています。
狛犬灯籠では珍しい蹲踞型。

柱には「慶應四戊辰」の刻銘が入ります。
そして参道狛犬。
左の台座に「石工 伊藤種吉」、右の台座に「明治二十九年八月」の刻銘が入ります。
石工さんの名前に記憶があったので遡って調べてみると、唐津市浜玉町の「今坂神社」にも伊藤種吉さんが製作した狛犬が居ました。

拝殿の中の様子。
武者が描かれた奉納絵馬が掲げられていますが、すっかり色あせています。
本殿覆屋。

藤棚。

手水盤。
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