こちらの住吉宮はJR筑肥線浜崎駅のおよそ5kmの距離、佐賀県唐津市浜玉町平原中原地区に鎮座されます。
浜玉ICを降り、玉島川を左に見ながら国道323号線を1.3kmほど走ったところにある玉島神社横の交差点から南へ入り、県道306号鳥巣浜崎停車場線を道なりに3.5kmほど走った中原地区の集落北側に位置しています。
石垣で一段高く盛られた境内には2基の鳥居と明治生まれの狛犬が奉納されており、さらに高くなった上の境内に唐破風向拝付きの入母屋造りの拝殿と流造の本殿が建立されています。
祭神は底筒男命、中筒男命、表筒男命の三柱ですが、由緒によるとこの神社は神功皇后三韓征伐の時に勧請されたとあり、そのためなのか社殿は玉島神社の方向に向けて建てられています。
社頭。
神橋。
境内入口の一の鳥居。
鳥居に掛かる「住吉宮」の神額。
左の柱に「元禄十五壬午歳十一月良辰」、右の柱に「奉寄進華表一基 總氏子建立」の刻銘が入ります。
二の鳥居とその両脇に奉納された唐津型狛犬。
台座には「明治三十年三月吉日 氏子中」の刻銘が入ります。
唐破風向拝付きの瓦葺き入母屋造りの拝殿。
村社 住吉神社
東松浦郡浜玉町大字平原乙五九番地
祭神 底筒男命 中筒男命 表筒男命
由緒 當社者神功皇后三韓征伐之時勧請ニ神於両郷而為征軍補佐也一浜崎郷諏訪大明神二平原郷住吉大明神謹テ按スルニ神功皇后三韓征伐終リテ松浦ノ住吉三神御神助ヲ畏ミ給テ御崇高ナル思召ヲ以テ御勧請ニヨルナリ爾来平原宗神ニテ郷民崇敬厚ク一千七百年今日ニイタル
御由緒追記 明治四十年合祀令二依リ御神社稲荷神社八大龍王社愛宕神社飯盛神社五社ヲ合祀ス
向拝下の様子。
扉の上の方には、先の戦争で戦死されたと思われる方々の名前が書かれた御札が貼られており、英霊としてお祀りされています。
拝殿の中の様子。
本殿正面。
銅板葺き流造の本殿。
神庫。
御神木と記念碑。
神功皇后が三韓征伐に出兵した際に、二神が行軍を補佐したということから住吉神社(住吉大明神)と浜崎の諏訪神社(諏訪大明神)が勧請されたそうです。
神社の由来や沿革が分かると、昔の故事や伝説・歴史などがつながることもあってなかなか楽しいものです。
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