こちらの志賀神社は、JR筑肥線伊万里駅の北北西およそ3.8kmの距離、佐賀県伊万里市瀬戸町本瀬戸の集落の南側に鎮座されます。
国道204号線の伊万里市立牧島小学校の西に150mほど、道路の南側には広大な田圃が広がり道路北側にまばらな住宅の間を北に抜けた小丘の上に位置します。
製塩業を生業としていたこの地に、塩と水の神様である綿津見神を祭神とする姪の浜の志賀神社を招聘して建立されたもので、国道から境内へ向かう参道には2基の鳥居が立ち、一段高くなった境内入口に灯篭狛犬が建立され、境内奥のさらに小高く盛られた場所に入母屋造りの拝殿と本殿が建立されています。
社頭。
参道入口の一の台輪鳥居。
鳥居には「志賀社」の神額が掛かります。
右の柱に「寛永元年」の刻銘が入り、左の柱には「大正三年十月十六日修立」の刻銘が入っております。
二の明神鳥居。
二の鳥居の前には「志賀神社」の神額が掛かります。
「旧牧島村村社」の石碑。
境内の様子。
境内入口の両横には飛び狛灯篭が居ます。
柱には「明治四十一年十一月吉日」の刻銘が入ります。
瓦葺き入母屋造りの拝殿。
拝殿の中の様子。
入母屋造りの本殿。
志賀神社
当時、佐賀藩は良質の塩ができず、筑前黒田長政公に製塩技法の指導を求めました。
慶長十四年(一六〇八年)製塩技術者及び関係者が、姪の浜よりこの地に移住し、塩田造りに着手しました。成富兵庫重安(鍋島の重臣)の市道で塩田を完成させ、慶長十九年より製塩を始めるにあたり、郷土姪の浜の守り神である志賀神社を招聘し、塩業の発展と子孫繁栄を願い建立しました。慶長十九年(一六一四年)建立 綿津見神
境内の案内板より
御祭神 主神 綿津見神 塩と水の神様
副神 鍋島勝茂(泰盛院) 初代藩主で塩業の開発と庇護
成富兵庫重安 武田信玄、加藤清正と並び称される治水の天才
★鍋島勝茂 成富兵庫重安は年代がわかりませんがあとから祭られました
製塩技術の指導のために福岡県の姪浜から呼び寄せた技術者の成富兵庫重安公の地元、姪浜の志賀神社を招聘して建立されたとあります。
「慶長十九年鎮座」と「三百五十年祭 初塩献上之碑」の記念碑。
祭神標や石碑等。
御神木。
このあたりの集落では、少なくとも江戸時代ごろまでは塩田があり、塩づくりを生業にしていた方が多かったと思われます。
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