こちらの淀姫神社はJR筑肥線大川野駅の南南西およそ1kmの距離、県道38号相知山内線の「大川町大川野」交差点から東へ700mほど行った、佐賀県伊万里市大川町大川野宿地区の鎮守の森に囲まれた小丘の上に地区に鎮座されます。
道路を挟んだ反対側の川向うに銅製の一の鳥居が奉納されており、石段の参道を上った先には土地柄なのか一対の青い磁器製の鯱が奉納され、「河上社」の神額が掛かる二の鳥居と「河上宮」の神額が掛かる三の鳥居が建立されています。
社殿へと続く石段の前には陶器製の狛犬が奉納され、石段を上った先には唐破風付き入母屋造りの拝殿と流造の本殿が建立されており、それを勇壮な表情の唐津型の玉取り狛犬が守護しています。
欽明天皇の御代の創立とされており、旧社格は郷社。御祭神は主祭神の與止日女命と明治四十一年に合祀された菅原道真公外十四柱のほか、護国社、稲荷社、淡島大明神などの境内社が祀られています。
神宮皇后の妹の豊姫様で、龍宮城の乙姫様のモデルとも言われる淀姫は記紀にも名前が一切出てこない謎の多い神様で、海人族の支配していた北部九州一帯にはこの淀姫伝説が残り多くの淀姫神社が祀られています。
川を挟んで広がる田圃側に建立された銅製の一の鳥居。神額はありません。
社頭。
境内入口に奉納されている平成十五年生まれの現代岡崎型の狛犬。
二の台輪鳥居。
二の鳥居には「河上社」の神額が掛かります。
柱には刻銘があるものの読み取ることができません。
伊万里焼の磁器でしょうか、一対の鯱が破損防止のためのケージに入れられて安置されています。
社務所。
社務所の横に祭祀された石塔。
三の明神鳥居。こちらには「河上宮」の神額が掛かります。
忠魂碑。
手水舎。
淀姫神社御由緒
御祭神 與止日女命、武御名方命、菅原道真公、他十五柱
御由緒 当社は第二十九代欽明天皇の御代二十四年(五六三年)に鎮座されたと伝えられています。古くは「河上大明神」と称され、末羅県鎮守の霊場と謳われました。與止日女命を主祭神とし、後世に建御名方命と菅原道真公の二柱を勧請しています。明治五年(一八七二年)、社格制定の際に郷社に列せられ、淀姫神社と改称されました。
ー中略ー
御社殿 文明七年(一四七五年)領主の源治が社殿を再興し、天正十七年(一五八九年)波多三河守親が社殿を修造(棟札現存)、明暦二年(一六五六年)、享保三年(一七一九年)社殿を改修、宝暦玖年(一七五九年)銅版葺として現在に至ります。
土俵。奥は舞台でしょうか。
境内を清掃されていた方によると、コロナ禍前の2020年ごろまでは奉納相撲が行われていたということです。
藤棚。
社殿へと続く最後の石段の右側に建立されている境内社の「護国社」。
護国社。
石段参道左側に奉納された稲荷鳥居。
神輿庫。例祭のときには現在も神輿が活躍しているそうです。
社殿。
陶器製の狛犬さんには「昭和五十二年一月吉日」の刻銘が入ります。
こちらは何でしょうか?刻銘を読み取ることができません。「天保七年丙申九月」の刻銘が入ります。
大神宮の石碑。
石祠。
拝殿前には値賀石工製作の唐津型玉取りの狛犬が奉納されていました。
台座には「値賀村字値賀 石工 徳永嘉助」の刻銘が確認できます。
こちらには「明治廿九年七月吉日」の刻銘が入ります。
唐破風付き入母屋造りの拝殿。
向拝下の様子。社号額は「淀姫神社」とあります。
拝殿の中の様子。
郷社 淀姫神社 西松浦郡大川村大字大川野
”佐賀県神社誌要”より引用
祭神 淀姫命
菅原道真 大己貴命 速玉男命
三女神 大山祇命 宇迦御魂命
伊弉諾尊 天御中主命 応神天皇
罔象女神 綿津見命 武御名方命
事解男命 伊弉册命
素戔嗚命 軻遇宏知命
本社創立の年代明らかならざるも、一千年以前なりしことは、松浦記に後朱雀院の御宇、長久二年大川野村眉山の獅子退治の時、既に当社祭神冥助ありし記録あるによりても知るを得へし降って文明七年八月、領主源治宝殿を再興せり(棟札現存す)其の後天正十七年、吉志見城主波多参河守豊臣親、宝殿を修造せしことも棟札によりて知るを得。明暦二年八月並びに享保三年宝殿を改築し、宝暦九年七月には宝殿を銅葺に修復し現今に至る。明治五年郷社に列せらる。明治四十一年村内の無格社合祀により菅原道真外十四柱追加す。
銅板葺き流造の本殿。
拝殿の左側の境内社。
その左側の境内社。
稲荷社。
境内左側の石祠群。
境内左側の石祠群。
拝殿右側に祭祀された天満宮の石祠。
そのまた右側の境内社。淡島大明神。
社の中の様子。
淀姫伝説が残る北部九州には多くの淀姫神社が鎮座していますが、こちらも閑静な場所に鎮座される趣のある古社でした。
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