こちらの堀江神社は、JR長崎本線佐賀駅の西北西およそ500mの距離、佐賀県佐賀市神野西二丁目地区に鎮座されます。
国道34号線環状北通り「SAGAアリーナ前」交差点から国道264号線を南に1.2km、県道267号学校通り線と交差する「堀江通り」交差点を西に入った神野西二丁目の街なか、「佐賀市立神野小学校」の北東側に位置しています。
金網フェンスで囲われた小学校のグランド横の参道入口に一の鳥居が立っており、グランドを左に見ながら100mほどの参道を行くと、ひざの高さほどの石垣で囲われた境内入口に二の鳥居、あまり間をおかずに奉納されていた三の肥前鳥居は老朽化が進み、笠木や柱を鉄板で補強されていました。
銅板葺きの入母屋造り拝殿と流造の本殿が建立されており、拝殿前には風化によりほとんどトルソーと化した肥前狛犬と、明治生まれの砥川型岩乗り狛犬が奉納されています。
創建は古く、龍造寺氏、鍋島氏から厚く崇敬されてきている古社で、賽銭箱には龍造寺家ゆかりの「抱き杏葉」の紋が刻まれています。御祭神は景行天皇、神功皇后、上筒男神、中筒男神、底筒男神のほか、合祀された天照皇大神外八柱が祭祀されます。
参道入口に立つ一の鳥居。
一の鳥居に掛かる「堀江大明神」の神額。
一の鳥居修復記念の石碑。一の鳥居は享和元年(1801年)建立されたものですが、それほど傷んではいないようです。ただ、よく見ると柱の下の方に継ぎ足されたような痕跡がありました。
二の鳥居。
手水舎。
三の肥前鳥居。
三の肥前鳥居に掛かる「堀江大明神」の神額。
事故防止のために、風化が激しい肥前鳥居の笠木と島木部分や貫の部分を、針金などで補強している鳥居を見かけることがままありますが、こちらは鉄板で巻いて補強されていました。
堀江神社
祭神 景行天皇 神功皇后 上筒男神 中筒男神 底筒男神
天照皇大神 応神天皇 大山祇命 倉稲魂命 管原道真 若比留女命 建御方命
大己貴命 木花咲邪姫命
熊襲討伐のため肥前に来た日本武尊の威徳をしのんで土地の人が祠を建て堀江大明神と称えたのが起源で景行天皇神宮皇后が主祭神で外に後宇多帝が蒙古退治を祈願されたとき勧請の風浪権現即ち住吉三神をあわせ祀つてある 神功皇后御皇運を祈らせ給いて当社広前に緑竹一本を植え給いて 「千早振神袁此野仁集置天一村竹袁宿登定留千早振神裳此野仁集利弖一村竹袁宿登定奴」 御歌を懸げ天神地祇を祭らせ給いけるに其竹緑をまし新篁を生じたりと伝う それにより御歌に因みて此野村と名づけ後国音相通ずるを以つて神野に改む 祭神天照皇大神外八柱は無格社合祀により追加する
昭和五十八年十一月三日 建之
肥前鳥居をくぐって神門前に来ると、案内板の前に一体だけの肥前狛犬ちゃんがいらっしゃいました。
前脚の部分は欠損していると思われ、辛うじて右の付け根の部分だけが残っています。
神橋。2径間円弧桁橋のアーチ型石橋。
そして神門。
銅板葺き入母屋造りの社殿。
そしてまず迎えてくれたのが肥前狛犬ちゃんたちでした。
肥前狛犬としては大型の部類に入ると思いますが、屋外で風雨にさらされているためほとんどシルエットで狛犬だなと分かる感じです。
そして、拝殿前の狛犬さん。
ちょっと頭でっかちの狛犬さんですが、おそらく砥川型の岩狛さんでしょうか。
明治20年(1887年)3月生まれの岩狛さんは「城島儀七」さんが制作された狛犬さんでした。
拝殿前の様子。
賽銭箱には龍造寺家縁の「抱き杏葉」の紋が入ります。
銅板葺き流造の本殿。
稲荷社。
祖霊靖国社。
末社群。
末社群。
こちらの神社にもたくさんの末社が祀られていました。おそらく明治の神社合祀で、周辺にあったいくつもの神社の御神体がここに集められたのでしょうね。
まっすぐ伸びた参道左側の小学校のグランドでサッカーに興じる子どもたちの元気な声が、静かな神社の境内にまで響いていたのがとても印象的でした。
それでは、今日も最後までご覧いただきありがとうございました。
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