こちらの五の宮神社は、JR長崎本線肥前鹿島駅の北西およそ1.8kmの距離、佐賀県鹿島市大字森地区のほぼ中央に鎮座されます。
嬉野市塩田町との市境に位置しており、国道207号線の殿ノ橋交差点から西、国道498号線を嬉野町方面に向かって1.3kmほどにある四つ角を北へ300mほどの場所、平野部にぽっかり浮かんだ小丘の麓に位置します。
国道脇に建立された一の鳥居から北へ、一直線に伸びた参道の先の境内入口にある神橋を渡ると、慶安元年に奉納された存在感のある肥前鳥居、そして玉垣が張り巡らされた一段高い上の境内に入母屋造りの拝殿と切妻造りの本殿覆屋が建立されています。
背後の小丘は龍造寺隆信の家臣犬塚盛家が築いた森岳城跡で、和銅年間の奈良時代の創建、御祭神は水の女神の罔象女神です。拝殿前には塩田型狛犬と築後型狛犬の二対が奉納され、北鹿島地区の氏神として崇敬されております。
鹿島市の名物店のかつ丼を是非食べてみてと、会社の同僚があまりにも熱心に勧めるのでそのかつ丼を食べるために、JR肥前浜駅前にある「金時食堂」向かっているときに妻が車の中から見つけてくれました。
昼食にはちょっと早い時間でもあり、これもお導きかなとも思って先に参拝させていただくことにしました。
こちらが一の台輪鳥居。ここから250mほど参道が真っ直ぐに伸びています。
社頭。
神橋。
苔むした石造りの単径間円弧桁橋が、何とも言えないくらい時の流れを感じさせてくれます。
二の鳥居は立派な肥前鳥居でした。やっぱり肥前鳥居のシルエットはいいですね♪
慶安元年(1648年)に、三代藩主鍋島直朝公が寄進したとされてます。
「五宮大明神」の神額が掛かっています。
塩田川南岸の鹿島平野に、こぶしを伏せたような標高24mの小高い丘があり、全山が楠の老木に覆われています。
境内の由緒書きより
この丘の麓に鎮座している五の宮神社は、奈良時代初期の和銅2年(709)の建立と伝えられ、塩田川上流の嬉野市塩田町宮本にある丹生神社と同じく水象女神が祭神です。塩田川水系の治水鎮護のため奉祀して、丹生神社から5社、また伊弉冉命の5子にあたるので五の宮神社の名前があります。
鹿島藩歴代藩主の信仰もあつく、『鹿島志』などの記録にあるように、江戸時代は水害や干ばつの雨乞い、疫病に霊験があるとして、近郷の農民達に崇敬されました。現在でも北鹿島地区の氏神であり、毎年10月の第3日曜日に獅子舞の奉納と神輿の行幸が行われます。境内には、慶安元年(1648)に3代藩主鍋島直朝が寄進した肥前鳥居が立っていて、紀年銘のある肥前鳥居では市内最古です。
なお背後の丘上は、天正4年(1576)龍造寺隆信が神埼郡の犬塚盛家(鎮家)を藤津地方に送りこみ、当時藤津地方に勢力を持っていた有馬氏の討伐に先だって築かせた砦跡(森岳城)です。
五宮神社って珍しい名前だなって思っていたけど、そんな名前の由来があったのですね。
入母屋造りの拝殿。
参道脇の下の境内の塩田型の狛犬。
昭和20年(1945)12月の建立されたもので、石工名は中尾丸一さんとあります。
手水舎。
神狐。
拝殿。「五宮社」の社号額が掛かる。
そして拝殿前の狛犬さん。
年代不詳の築後型の狛犬さんです。
塩田型とは特徴が異なりますね。
切妻造りの本殿覆屋。
境内社。
石祠群。
境内社の天満宮。
御堂。
境内社の「鹽竈神社(しおがまじんじゃ)」の鳥居。
「鹽竈宮」の神額が掛かる。
社殿。
拝殿と中の様子。
毎年10月の第3日曜日に行われる五の宮神社秋祭りでは、獅子舞の奉納や神輿の行幸と共に五の宮神社から本町の天満宮まで「お下り」という行事が行われるそうです。
本町の天満宮で神様が2泊された後、今度は本町の天満宮から五の宮神社まで「お上り」が行われ、北鹿島地区の繁栄と参拝者の方々の繁栄と守護を願うとされています。
土地の氏子さんたちが大切に守ってきたこの神社を、これからもずっと守り続けて行ってもらいたいものですね。
さて、今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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