楠神社 佐賀県佐賀市白山

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佐賀市の神社

こちらの楠神社はJR長崎本線佐賀駅の南方およそ1.2kmほどの距離、佐賀県佐賀市白山一丁目の東側の街なかに鎮座されます。

佐賀駅前から、佐賀県道29号佐賀停車場線を南へ佐賀県庁方面に向かい、約1kmほどの中央橋交差点を右に入るとすぐのところに鎮座される龍造寺八幡宮の境内西側に位置しています。

南北朝時代に後醍醐天皇を支えた武将、楠木正成(大楠公)とその子正行まさつら(小楠公)を祀る神社として安政3(1858年)に創建されました。

社頭。入口左側に楠神社の社号標があります。正面にある肥前鳥居は龍造寺八幡宮の鳥居で、その奥に見える社殿は龍造寺八幡宮の拝殿です。

御祭神 楠正成命 楠正行命
創 立 安政三年(一八五六)佐賀藩執政鍋島安房本庄町高伝寺東寺梅林庵より楠公父子像を遷す。
御由緒 寛文三年(一六六三)佐賀藩の国学者、深江信溪、大木英鉄等が京都の仏師法橋宗而に托して楠公父子桜井駅決別の像を作成し、佐賀郡北原村の永明寺に安置したのに始まる。降って嘉永三年(一八五〇)楠公義祭同盟が結成され、安政三年(一八五六)地を龍造寺八幡宮境内に移して楠神社を建立し、この尊像を御神体として奉祀し毎年義祭を盛大に行った。
明治維新の元勲として国事に盡瘁した佐賀藩の大先輩江藤新平、副島種臣、大隈重信等はことごとくこの同盟に加わり後年世に出て名をなした。

境内由緒書きより

神社遠景。

台輪鳥居。

柱には文化14年3月建立の刻銘が入ります。

銅板葺き入母屋造りの拝殿。

「昭和11年春」「石工 太田熊次郎」の刻銘が入ります。

透かし塀に囲われた銅板葺き流造の本殿。

神庫。

橘神社から龍造寺八幡宮側を見た様子。

安政年間に佐賀藩の執政鍋島安房が龍造寺八幡宮境内に造営したとありましたが、楠公父子を祀る神社としては最古の神社らしいです。

学生時代に聞いた大楠公と小楠公というワードがとても懐かしく感じましたw

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