こちらの田島神社はJR唐津線本牟田部駅の西方およそ3km、唐津市立北波多小学校から西南西に1.5kmほどの距離、佐賀県唐津市北波多岸山矢代町に鎮座されております。
唐津市から伊万里市へ向かう国道202号線「徳須恵上」交差点を東に、徳須恵川に架かる「上徳須恵橋」を渡って県道52号山本波多津線を1.5kmほど行った矢代町集落の北のはずれ、標高100mほどの里山の山裾に位置します。
「矢代町」の信号から、車一台が通れるほどの幅しかない県道北側の側道を東に進んで行くと、やがて左側に腰の高さほどの石垣が組まれ入口に建立された鳥居が現れ、四段の石段を上がった下の境内の短い参道には間をおかずに三基の鳥居が立っておりますが、よく見ると一の鳥居の後ろにも鳥居の台石が残っており、かつてはそこにも鳥居が立っていたものと思われます。
三基の鳥居をくぐると玉垣が張り巡らされた3mほどの石垣が組まれ、九段の石段を上った上の境内には文政十一年造立の「田島宮」の神額が掛かる鳥居が奉納され、その先に木造本殿が祭祀される向拝付きの入母屋造りの社殿が建立されています。
下の境内の三基の鳥居にはそれぞれ三つの社号名の神額が掛かっており、おそらく明治の神社合祀によってまとめられた近くの神社の鳥居であろうと思われます。案内がなく御祭神や由緒等については不明です。
社頭。
決して長くはない参道に3基の鳥居が立っています。
一の鳥居は明神鳥居。
鳥居に掛かるのは「山神社」の神額。
二の鳥居。
二の鳥居に掛かる神額。あまりに達筆すぎて何と書いてあるのか分かりませんw
「鉾嶽神社」と読むのでしょうか、おそらく神社合祀で集められた末社の鳥居かと思われます。
「奉再建神門一基」「安政五年戊午正月吉日」の刻銘が入る柱。安政5年(1858年)建立の鳥居です。
足元を見ると、二の鳥居の前に鳥居の台石が残っています。
ということは、じつは以前はここに本当の二の鳥居が立っていたものと思われます。
境内前の石段参道。
境内前に立つ三の鳥居は文政11年(1828年)3月建立です。
鳥居には「田島宮」の神額が掛かる。
瓦葺き入母屋造りの拝殿。
向拝下にも「田島宮」の神額が掛かります。
拝殿の中の様子。
社殿を横から見た様子。
境内右奥にある石祠。
左から大土御祖神、大山祇命、一つおいて天照皇大神の石祠。
神社遠景。
こちらの田島神社さんは、とても綺麗に管理されていた古社でした。
この岸山地区は明治時代に開坑した岸山炭鉱があったところで、石炭を積み出すための貨物列車の線路の跡が30年ほど前まで県道わきに残っていたのを覚えています。
今では綺麗に歩道に整備されており炭鉱の遺構は何も残されていませんが、おそらく地域の住民の皆さんの拠り所になっていたのでしょうね。
それでは今日も最後までご覧いただきありがとうございました。
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