こちらの妙見社はJR唐津線小城駅の西北西およそ2,8kmの距離、佐賀県小城市小城町晴気西晴気地区に鎮座されます。
国道203号線の「一本松」の信号から東に700mほど先、北へ伸びる細い道路を800mほど行った多久市と小城市の市境に立つ標高338mの笠頭山の山裾部分に位置しています。
長崎自動車道の高架下を通り、民家の脇の道を抜けてなだらかな坂を登って行くと、やがて慶安3年に造立された肥前鳥居が現れ、苔生した参道や石段を上がった先の境内に、平成23年10月に修築された切妻造りの拝殿と流造の本殿が建立されています。
源頼朝から所領を得た下総の千葉常胤。その中の小城領を継承した千葉氏第九代当主千葉宗胤の長男である千葉胤貞が九州千葉氏となりましたが、その千葉氏が軍神として厚く信仰していたのが北斗七星を神格化した妙見様でした。
千葉一族が移住する時はかならず妙見様を伴っていたといい、小城の地に創建されたのがこの妙見神社で拝殿幕には千葉氏の丸に九曜紋が入ります。御祭神は天之御中主命と思われますが、案内がなく由緒沿革ともに不明です。
すっかり神社に魅せられてしまい、というより肥前鳥居や狛犬といった昔の佐賀県人が造ってきた独特の文化に触れたいと思うようになりました。
もっと肥前鳥居を見てみたいということで行くことにしたのですが、インターネットで調べてみてもこの妙見神社の認知度は低く、カーナビに入力するのは大まかな住所だけと、本当にあの芸術的な肥前鳥居があるのかと半信半疑での出発です。
入力した所在地通りに行くと、住宅地を通り抜けて長崎自動車道が通る山手の場所へたどり着きました。
適当な空き地に車を停め、カーナビが目的地と示している場所まで徒歩で進んで行くと、民家の間の路地の先に鳥居らしきものが見えます。
一直線に伸びるこの道は参道に違いありません!
マーちゃんを車に残したまま進んで行くとやっぱり鳥居でした。
はい、柱は2本継ぎながらこのシルエットはまさに肥前鳥居。
笠木と島木は一体化しており、肥前鳥居の特徴がしっかりと現れています。慶安3年(1650年)に建立された肥前鳥居です。
神額には「妙見宮」とあります。
両方の柱の一部分の汚れが落とされているようです。
どうやら参拝に来られた皆さんが、鳥居に刻まれた文字を読もうとされたのでしょうねw
小城市の資料によると、この柱には「大願主 千葉玄蕃○○敬白」、「石大工 武富清右衛門尉盛紹」、「石小工 久本新右衛門尉」と刻まれているとのことでした。
源頼朝から肥前国小城郡の地頭に任ぜられた千葉常胤の子、千葉宗胤を祖とした九州千葉氏の軍神として信仰が厚かったのが妙見様で、一族が移住する時は必ず妙見様を一緒に伴ったそうです。
九代目の千葉宗胤が小城に土着したことで、この地に妙見様を置こうと創建されたのがこちらの妙見神社だということです。
神社に隣接する天台宗のお寺「見明寺」には、県の重要文化財に指定されている平安時代造立の薬師如来が安置されているそうです。
こちらが拝殿。風化が進んだからなのでしょうか、どうやら社殿は改築されているようですね。
拝殿幕には千葉氏の丸に九曜紋が入ります。
拝殿の中の様子と奥の本殿。よく見ると「平成23年10月に修築」と書かれておりました。
境内の様子。
本殿。
末社。
石祠群。
今回参拝させていただいた妙見神社も社殿が建て替えられていましたし、以前参拝した小城市の「山王神社」も建て替え中でした。
やはり古社の風化はなかなか止めることができないようですね。
今日も最後までご覧いただきありがとうございました。
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