こちらの葦筒神社(あしづつじんじゃ)は西九州新幹線嬉野温泉駅の南東およそ2.8kmの距離、佐賀県嬉野市嬉野町大字吉田字納戸料に鎮座されます。
県道41号鹿島嬉野線の納戸料の信号から北へ、吉田川沿いに伸びる市道を700mほど行った集落の北の外れ、隣の松尾地区との境の地に位置します。
人の高さほどに積まれた石垣の上に造られた境内は、たくさんの御神木によって鎮守の森が形成されており、遠くの方からでもこの場所に神社があることが容易に確認できます。
入口の石段参道を上がり鳥居をくぐると、真正面に昭和60年生まれの狛犬が守護する入母屋造り妻入りの拝殿と流造の本殿が建立され、秋には例大祭には神輿行列と浮立が奉納されます。和銅3年創建、祭神は國之常立尊と大国魂命の二柱です。
吉田川の方から見た神社遠景。
石垣と鎮守の森のコントラストがとても美しい。
境内入口に建立された台輪鳥居。
鳥居には「葦筒宮」の神額が掛かります。
葦筒神社 和銅三年創建
境内の石碑より
祭神 國之常立尊 大国魂命
由緒 昔当地葦の窪の湿田に回り尺余高さ天に達する大葦一夜にして生ず
里ノ畏みて之を取り来りて御神体となす
葦筒神社の名吉田村の名称ここに起こる
社地を何れに定むかと白岩のさる地を卜せしにマツヨシの神託あり後世此の地を松葦という納戸料の鍛冶屋敷に遷座後亦此の地に遷座ありたり正元元年時の執権北条時頼諸国巡歴の際当地にて病に罹り当社に祈願せしに病立ち処に全快せり当神社の宝物たる狛犬は実に時頼の奉賽によるものなり
“佐賀県神社誌要”によると、もともとは吉田村も「マツヨシ」にあったものを「カヤシキ」に移し、和銅2年(709年)にこの地に社地を定めたと伝えられており、神殿は延宝4年(1676年)に領主の鍋島摂津守藤原朝臣直之が寄進したものだそうです。
参道の先、一段高い場所に朱色と白が鮮やかに映える銅板葺き入母屋造り妻入りの拝殿が建立されています。
昭和60年造立の狛犬。岡崎現代型でしょうか…。
拝殿の中の様子。「葦筒神社」の社号額が掛かります。
銅板葺き流造の本殿。
境内西側の石祠群。
天照皇大神の石塔。「元禄十四辛巳年 一月吉祥日」の刻銘が入ります。
「寛文十三年正月吉祥日」の刻銘が入る石造物。
御堂。
境内入口東側に祭祀されている石祠。
西側から見た神社遠景。
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