八天神社 佐賀県嬉野市塩田町大字谷所山口

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嬉野市の神社

こちらの八天神社はJR長崎本線肥前鹿島駅の西南西およそ4kmの距離、佐賀県嬉野市塩田町谷所山口地区に鎮座されます。

鹿島市の国道207号線「黒川橋」から、県道41号鹿島嬉野線を嬉野方面へ向かって3.5kmほど、右手に広がる唐泉山の裾野を流れる鹿島川沿いに位置しています。

境内入口から三基の鳥居と二対の狛犬が奉納され、江戸時代からの原形を留めている石造眼鏡橋の神橋を渡り、三段階に分けて続く石段参道を徐々に上り上がった先には、両端に別棟を持つ切妻造りの拝殿と本殿が建立されています。

火之迦具突智大神と建速須佐之男大神の火の神様を御祭神に持つ神社で、こちらの八天狗社神の火の神のお守りが江戸中期から後期にかけ、鍋島家を通じて幕府の重鎮や諸国大名旗本へ送られていたという非常に歴史のある神社です。

貞応元年創建以来、火防の神様として参拝者も多いようです。我が家も火災に遭わないようにと、しっかりお参りしてまいりましたw

一の鳥居は台輪鳥居。

いつもながらではありますが、一直線に伸びた参道がじつに美しいですね。

神額には「八天狗神下宮」とあります。

じつはこのお社は下宮で、「肥前小富士」と呼ばれる唐泉山の山頂に上宮があります。

八天狗とは愛宕山太郎坊、比良山次郎坊、飯綱三郎、鞍馬山僧正坊、大山伯耆坊、彦山豊前坊、大峰山前鬼坊、白峰相模坊を総称して言うそうで、こちらの御祭神の「火之迦具土大神が」愛宕山太郎坊のことらしいです。

二の明神鳥居。

鳥居には「八天神社」の神額が掛かります。

最初の神橋。下には鹿島川が流れています。そして奥にもう一つ神橋が見えます。

境内の案内板。

肥前小富士 唐泉山鎮座 八天神社由緒沿革
御祭神 火之迦具突智大神 建速須佐之男大神 火神の御神系の神神
 肥前の国の中心なる藤津の里、肥前小富士と稱る唐泉山(四一〇メートル)は、太古の火ノ山、噴火山であり、その山型誠に麗しく神霊鎮まります御山として、山頂に社を営み、神霊の御加護を奉謝し奉った飛鳥時代の中期、白雉四年(西暦六五三年)を以って、仮に御鎮座の年と定められました。
 鎌倉時代の初期、貞応元年(西暦一二二二年)山城の国(京都)山崎の産、田村良真が小城晴気に下向し、唐泉山の社を中興し、新に此の地へ下宮を奉斎して唐泉権現・八天狗社として上宮(唐泉山の山頂)下宮の社務を司り、以来その子孫が本光坊と称して、上宮・下宮の宮司家として御奉仕を致しております。
 鎌倉時代より江戸時代、後藤氏・千葉氏・松浦氏を始め肥前国一円の国主・領主・諸氏諸侯・鍋島家に至る迄、諸氏を挙げ、火の神八天狗社を尊崇し、社費の支弁をなされ、又各家より寄進されし広大な神領地を保有し、肥前国一円の人々に火の神様として崇敬され、それぞれの里毎に火の神様・八天狗神の御分霊石祠及び社がまつられて、火の神様への奉謝のまつりが行われてきました。(後略)

二つ目の神橋。

こちらは県指定重要文化財の石造眼鏡橋です。

県指定重要文化財と記している石碑。

1854年(嘉永7年)に完工したもので、江戸時代からの原形を留めているものとしては県内唯一のものなんだそうです。

 この石橋は、八天神社の神橋として、当時在住の石工が、嘉永5年(1852)に着工し、嘉永7年に完成させたものである。一連のアーチ形の眼鏡橋であり、全長11.14m、幅3.69m、高さ4.65m。橋の両側に、高さ0.7mの欄干が付き、舗道にはゆるやかな曲線をえがいている。
 このような眼鏡橋とよばれているアーチ形の石橋は、興福寺の僧黙子如定が、寛永12年(1635)長崎に築いたのが始まりとされており、その後、九州各地に広まった。長崎県や熊本県には現在も数多く残存しているが、佐賀県には大変少なく、江戸時代のものでほぼ原型を保っているのは、この八天神社のものだけである。

“佐賀県ホームページより”

横の方から撮影した石造眼鏡橋。

三の鳥居。

これって角柱鳥居の三ツ鳥居ですよね?初めて見ましたw

「武徳 陸軍大将 一戸兵衛 書」とあります。

何と読むのか分からなかったのですが、「いちのへ ひょうえ」と読むようで、陸軍の偉い人だったようです。

はい、大好きな狛犬さんです。

建立された年代は分かりませんでしたが、吽形は鞠を、阿形は玉を咥えていました。

池の中に祠が。

水神。水の神様の祠なのか?

境内の様子と手水舎。

拝殿。

拝殿前の狛犬さん。

グリグリの目玉に、ピンと立った尻尾が特徴的です。

平成元年(1989)5月20日生まれの狛犬さんでした。

拝殿の中の様子。

本殿。

あれあれ、右の方にも何やら鳥居らしきものが見えるよ。

なんと、境内の奥にも台輪鳥居がありました。

神額には「唐泉山八天狗神下宮」とある。ひょっとして昔はこれが使われていたのかな?

ひょっとして、上宮への登り口なのかなと思いましたが、残念ながら人が歩けるような状態ではなく先に進むことはできませんでした。

唐泉山の山頂にある上宮へは後日参拝させていただきました。


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