巌屋大権現 佐賀県嬉野市嬉野町下宿今寺

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嬉野市の神社

こちらの巌屋大権現はJR九州西九州新幹線嬉野温泉駅の北東およそ800mの距離、佐賀県嬉野市嬉野町下宿今寺地区に鎮座されます。

今寺バス停付近から東に入った塩田川沿いの北側に位置し、玉垣が巡らされた2mほどの高さに組まれた石垣の上に鳥居が建立され、標高137mほどの高さの里山の岸壁を刳り抜いた境内に石造りの本殿が祭祀されています。

神社遠景。

参道入口の明神鳥居は再建されたもので、右の柱には「西暦二〇〇〇年一二月吉日」の刻銘が入ります。

「巌屋大権現」の神額が掛かります。

鳥居の右隣りに建立された石碑。そこには鳥居再建の詳細が刻まれていました。

石碑の後ろに先代の鳥居の笠木部分と神額が飾られています。

碑文
 今から一五十余年前から続いている今寺権現の巌屋大権現が鎮座する□□の大鳥居がついに長年の風雪に耐え兼ねて一部が崩壊し危険になったため氏子が集まり協議の上再建立することに決定を見る。ー後略ー

碑文の石碑裏にもびっしりと書かれています。

石段参道。

岸壁を刳り抜いたところに境内が置かれ、風雨を避けるように彫り込まれたところに石造りの本殿が祭祀されています。

境内の様子。石造りの本殿の右側にも石祠が見えます。

本殿。

本殿の中の石祠には三体の座像が祀られています。

右は猿田彦大神。

左の石祠には座像が祀られており、「文化十一甲戌歳十二月吉日」の刻銘が入ります。

改修工事記念碑。

神社の石垣に組み込まれた碑文。

碑文
 明治の初期頃には塩田川の流域には、七十数軒の水車小屋ががあり、川より水を引き、空臼で陶石を砕いて吉田皿屋、有田の窯元に陶土を供給していた。
 明治後半に水車が普及、陶土も大量に生産されるようになった。しかし、昭和四十年頃より水車も廃止になり、現在は電力を使用し、より以上に大量生産を行い、吉田皿屋、有田、長崎県(波佐見・三河内)の窯元に出荷している。
 また、この石垣の石に穴が開いているのは、下野区の※※※※氏の初代※※※※氏が水車に水を引く為に鬼ごろ丸の塩田川の川底の岩に穴を開け、その穴に松杭を打ち込み松板を並べ井堰を造り、水車に水を引いてた時の石穴が現在ここにある石である。
 塩田川改修工事の際に採集した石をこの権現の石垣築造に記念として組み込んだものである。(注:※は個人名なので伏せております)
 平成十二年十二月吉日 建立

あらためて見直すと、石段参道の左側にポッカリと穴が開いた岩が埋め込まれているのが分かります。

どうやらこの石が碑文に書かれていた、水車に水を引いてた時に松杭が打ち付けられた塩田川の川底の石のようです。

地元の先人の功績を称え、それを後世に残すために石垣と碑文に残されたようです。こんな風に人の目に触れるようにするのはとてもいいアイデアだと思います。

それでは今日も最後までご覧いただきありがとうございました。

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