こちらの川上神社はJR筑肥線浜崎駅の南東およそ4kmの距離、佐賀県唐津市浜玉町平原座主地区に鎮座されます。
浜玉ICを降り、玉島川を左に見ながら、国道323号線を1.3kmほど走ったところにある玉島神社横の交差点から南へ入り、県道306号鳥巣浜崎停車場線を道なりに2.2kmほど走った座主の集落中ほどに位置しています。
鎮守の森に囲まれた境内には、昭和生まれの狛犬が守護する切妻造り妻入りの拝殿と並列に祭祀された流造の本殿が建立されており、その横では樹齢800年の御神木のクスノキが静かに見守っています。速玉之男命、事解玉之男命、伊弉諾命の三柱を御祭神とします。
かつてこの地にあった殿原寺は、天正二年(1574年)の龍造寺氏の草野攻めの際に焼失したそうですが、その時に難を逃れた“木造観世音菩薩立像”が境内の観音堂に安置され佐賀県の重要文化財に指定されているそうです。
また、日本の三大悲恋物語といわれる「松浦作用姫伝説」の発祥の地の碑も造立されており、境内の西側には作用姫を読んだ万葉詩の句碑も建立されています。
神社遠景。
参道に立つ鳥居。
鳥居には「川上神社」の神額が掛かります。
左の柱に「宝永七歳庚寅十一月」の刻銘が確認できます。
境内入口。
唐破風の向拝付き切妻造り平入の拝殿。
境内の案内板。
元村社 川上神社由緒歴
鎮座地 浜玉町平原字座主一〇八五番地
祭神 速玉之男命 事解玉之男命 伊弉諾命むかしは河上山権現という。人皇第四十二代文武天皇の御代の大宝年中約千三百年前、山伏の元祖役小角の長男義学は、入唐したまま帰らぬ父を探してこの地を訪れ、この地が霊地であることを感じ、紀伊国より熊野権現を分身勧請して社を建立したと伝える。
以来、郷民の崇敬ほとかたならず例大祭を十二月十五日と定め、春祭四月十五日、秋祭十月十五日は絶えることなく現在に至っている。ー後略ー
拝殿前の狛犬さんは向かって左に阿形、右に吽形という配置になっています。
「昭和十七年十二月吉日 大東亜戦争出征記念」の刻銘が入ります。
向拝下の様子。
唐破風の上には“左三つ巴紋”が入り、両サイドには飛び狛がいます。
こちらでは、先の戦争で戦死された地元の英霊も祀られているようです。
拝殿の中の様子。
並列に祀られた流造の本殿。
樹齢800年の御神木のクスノキ。
御仏堂。
仏像群。
観音堂。
「殿原寺」の山号額が掛かります。
御堂の中の様子。
佐賀県の重要文化財に指定されている木造観世音菩薩像が安置されています。
木造観世音菩薩像の案内板。
殿原寺の案内板と“松浦佐用姫伝説発祥の地”の石碑。
大伴旅人らが詠んだ“松浦佐用姫”の句が刻まれた石碑。
石祠。
石祠。
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