鳥海天満宮 佐賀県武雄市山内町大字鳥海

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武雄市の神社

こちらの鳥海天満宮はJR佐世保線三間坂駅の東北東およそ2kmの距離、佐賀県武雄市山内町大字鳥海地区の鳥海集落の西側の町外れに鎮座されます。

国道35号小越交差点の西300mの交差点を北へ、突き当りの県道を横断し踏切を渡り県道38号相知山内線の900mほどの処にある三差路、田圃の中を東に延びる農道を300mほど行き鳥海川を渡った高台に位置します。

参道入口はこちらより南側になり、参道入口には狛犬灯篭と台輪鳥居が建立されており、そこから100m先の境内入口に建立された二の鳥居をくぐると、塩田型の狛犬が守護する入母屋造りの拝殿と瓦葺き流造の本殿が建立されています。

祭神は菅原道真。拝殿の中には道真公の没後1000年を記念し、明治33年の拝殿改修の際に武雄領主のお抱え絵師だった家系の広渡三舟による150枚の天井画が奉納されています。

神社遠景。

参道入口の台輪鳥居。

鳥居の前には飛び狛灯篭が一対奉納されています。

鳥居に掛かるのは「天満宮」の神額。

右の柱に「干旹文化十三歳次丙子十一月吉日」の刻銘が入ります。

砂利が敷き詰められた参道が一直線に境内に伸びています。

境内入口に立つ二の台輪鳥居。

こちらにも「天満宮」の神額が掛かります。

境内脇には鳥海公民館があります。鳥海は「とのみ」と読みます。

瓦葺き向拝付き入母屋造りの拝殿。

向拝下の様子。

拝殿の中の様子。幣殿入口の上の立派な「鳥海天満宮」の社号額がひときわ目につきます。

また、拝殿に奉納されている「三十六歌仙画」は100年以上も経っており、色褪せて歌の字も読み取りにくいものがあったため、2015年に120年の時を経て新調したということです。

村社 天満宮 杵島郡中通村大字鳥海
祭神 菅原道真
 鶴田因幡守唐津岸嶽城に住居の折り、心願により勧請せしを、天正十二年鶴田氏武雄に移轉の際今の鳥海村に遷座し、元和七年平山筑後守社殿を改築す、後武雄邑主鍋島家より地形三石を寄進し、代々崇敬浅からず、其他詳細の由緒は、天保八年出火にて悉く焼失せしを以って知るに由なし。
 大正四年十一月十一日神饌幣帛料供進指定
 氏子戸數 三百戸

“佐賀県神社誌要”より引用

拝殿の前の両サイドの石灯篭には「荒踊絵馬」と「天井絵」と描かれた陶板が埋め込まれています。

どちらも重要有形文化財に指定されているようです。

荒踊絵馬

 荒踊りは、旧武雄邑を中心に伝承されている民俗芸能の一つで、モッショと呼ばれる二本差しの踊り手が囃子に合わせ円陣を組みながら群舞する一種の奴踊りである。
 この絵馬は鳥海浮立の発足を機会に、立野川内から師匠を招いて催した所に奉納された記念の絵馬であると伝えられている。
 この絵馬に描かれた風景は荒踊りに関する少ない記録の中で貴重なものであり、当時の風俗を知ることができる。
 なお、この絵馬は、特に陶板として模写され、山内支所ロビーの壁面を飾っている。

天井絵

 鳥海天満宮拝殿に百五十枚の天井絵が奉納されている。
 これは菅原道真公没(九〇三)後一千年を記念し、明治三十三年拝殿改築の際に、鳥海中により奉納されたものである。
 当時の鎮守社を祀る住民の信仰形態を知ることができる貴重な資料である。
 絵師は広渡三舟で、広渡家は代々武雄領のお抱え絵師の家系であり、三舟は、天保十二年(一八四一)七月黒髪山麓宮野に生まれ、名は文太郎、静嘯斎と号し、また三舟と称した。
 昭和六年二月二十三日没、時に九十三歳。

境内の案内板より

こちらが天井絵ですが、拝殿の扉が施錠されていたので撮影することができませんでした。

秋の例大祭では山内町伝統の浮立が奉納されるようです。

透かし塀に囲まれた瓦葺き流造の本殿。

塩田型の狛犬さん。造立年代や石工さんの名前は分かりませんでした。

御堂。

手水舎と記念碑。

記念碑。

神武天皇石祠。

神社北側の石段参道。

境内裏側の石段参道上に奉納されている狛犬灯篭。

それでは今日も最後までご覧いただきありがとうございました。

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