素鵞神社 佐賀県武雄市武雄町大字富岡小楠

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武雄市の神社

こちらの素鵞すが神社はJR佐世保線武雄温泉駅の北東およそ500mほどの距離、佐賀県武雄市武雄町大字富岡小楠地区の北端の小丘の上に鎮座されます。

国道34号線白岩球場入口交差点から県道53号武雄伊万里線を北上し、県道24号武雄多久線と交差する小楠交差点を北へ150mほど行った小楠バス停付近の右手の方に鎮守の森が見えます。

道路沿いに立つ一の鳥居と、石段参道を登った境内入口の二の鳥居の二基の鳥居が建立されており、境内に建立された開放的な入母屋造りの拝殿と切妻造りの本殿覆屋を、大正生まれの筋肉質の塩田型狛犬が守護しています。

素鵞神社はもとはスサ神社といわれ、武雄二代領主の資茂公が塚崎に赴任する際、京都の祇園社と比叡山の日吉神社の分霊を鎧の両袖に入れ、このスサ神社に祇園社の分霊を祀り“祇園林”と名付けたとも伝えられています。

社頭。道路脇に建つ一の台輪鳥居。

鳥居に架かる神額。すっかり風化しており読み取ることができません。

たくさんの刻銘が入る鳥居の柱。建立年は不明。

参道の様子。

石段参道。

境内入口に立つ二の台輪鳥居。

鳥居には「素鵞神社」の神額が掛かります。

入母屋造りの拝殿。

拝殿前の塩田型狛犬。

口蓋部分の細工が特徴的な狛犬さんです。これまでの塩田型には見られなかったので、造られた石工さんのセンスの良さなのかもしれませんね。

どちらも筋肉質でどっしりした感じです。

「大正十二年十二月吉日」「石工 桑原熊二」の刻銘が入ります。

拝殿の中の様子。

村社 素鵞神社 杵島郡武雄町大字富岡
祭神 素盞鳴尊
 創建の年代を詳かにせさるも、後藤家築城の際鬼門鎮護神として奉祀せりと傳ふ、以後邑主の崇敬浅からす、住民の尊信厚く、社格制定の際村社に列せらる。
氏子戸数 四十五戸

「佐賀県神社誌要」より

 素鵞神社はもとスサ神社といわれ、祭神はスサノオノミコトです。武雄領主2代の資茂が塚崎に赴任する際、京都の祇園社と比叡山の日吉神社の分霊を鎧の両袖に入れ、塚崎では東にあたる岩富名(小楠)のスサ神社に祇園社の分霊を祀り、祗園林と名付けたと伝えられており、資茂の存在を考える上で重要な資料です。

「武雄市重要文化財・彫刻」より

幣殿と切妻造り平入の本殿覆屋。

市重要文化財の「木造 牛頭天王座像」が祀られている社。残念ながら像の姿は確認できませんでした。

 牛頭天王は、祗園系統の神社に祀られている疫神です。
 本牛頭天王像は、楠の一木造りで、頭上に牛形をつけ、天冠台を着し、体部は上半身裸体で、条帛をつけ、下半身は裳をつけています。手は多臂で、六臂のようです。第3手は両手を右ひざに重ねて膝頭をおさえ、その下に鬼形の獣を抑えています。顔面は左半分が焼けていますが、右半分の状況から忿怒の相と考えられます。平安時代後期の作で、像高56.5cm、最大幅35.5cm、厚さ18.8cmの大きさです。
 また、本像とともに納められていたものに、牛頭天王像・男神像・女神像・如来像の8躯があります。すべて楠の一木造りで、室町時代から江戸時代にかけての作と考えられます。

武雄市の文化財-木造牛頭天王坐像より

慰霊碑。

それでは今日も最後までご覧いただきありがとうございました。


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