こちらの五龍神社はJR長崎本線鍋島駅の南東およそ1kmの距離、佐賀県佐賀市鍋島町大字八戸地区に鎮座されます。
国道208号線「新栄東二丁目」の信号から西へ、おそらく昔は参道であったろう真っ直ぐに伸びる一車線の路地を、およそ250mほどのところにある鎮守の森の中に位置します。
道路は右にカーブしておりますが、参道入口に建立された一の鳥居から参道がそのまま社殿へと伸びており、境内入口の神橋を渡り二の肥前鳥居をくぐった先に文化13年生まれの狛犬と、肥前鳥居の形状をした現代版の三の鳥居が奉納され、その奥に流造の拝殿と本殿が建立されています。
御祭神は海童神で、相殿神に天照皇大神・仁徳天皇・菅原道真公を祭祀しますが、境内社の足手荒神社や九頭龍権現社のほか、不動明王や薬師如来、二つの正一位稲荷大明神に多くの石祠が祭祀されており、神仏習合と神社合祀の名残が色濃く残る古社です。
社頭。
入口に石灯篭と幟杭、一の鳥居のが奉納され、三尺幅の参道が一直線に伸びています。
案内板。
神社略記
案内板より
御祭神 海童神(龍神)
併祀の神 天照皇大神 仁徳天皇 菅原道真公
境内社 足手荒神社 九頭龍権現社 不動明王 薬師如来
当社縁起によれば当地方の長者田中某(今は地名となって残っている)は広く商売を営み巨万の財宝を蓄え、大船を浮べ大陸と交易したため、かねて海上の平安を祈り、龍神を深く信仰していた。或夜の霊夢により西方の海中からふしぎな光を伴い黄金色の霊石を得たので危難除去の守護神として国家の鎮護と一族の繁栄を祈念し、村の西隅に一祠を建て、五龍社と称した。第二十九代欽明天皇二十六年(五六五)である。このことを知った里人も鎮守の神として崇敬し霊験あらたなるものを感ずるにつれ信仰の度は益々深まり、のちには与賀神社の摂社として二の宮とも称せられた。藩祖鍋島直茂公は家臣多久長門に命じて七社明神を拝祀し、初代藩主勝茂公は親しく参拝の上、元和年間(一六一五~一六二三)に社殿を造営し併せて八戸村の田地四丁八反を祭祀田として奉納すると共に松・樟一〇〇〇本を境内を中心に植栽奉納した。このようにして藩政時代は、神事も盛大に行われたが版籍奉還による変革で明治六年(一八七三)に村社に列せられ、同二十九年(一八九六)には管内数社を併祀し本日に至っている。
一の鳥居。
「五龍大明神」の神額が掛かります。
左の柱に「安永六年丁酉龍集七月吉祥日」の刻銘が入ります。
實盛塚。
参道の様子。
水無川に架けられた神橋。
二の鳥居は肥前鳥居です。建立年は分かりません。
こちらにも「五龍大明神」の神額が掛かります。
社務所。
参道途中に祭祀された石祠に石橋が掛けられています。
辨財天の石祠。
銅板葺き流造の拝殿。
拝殿前には肥前鳥居を模した現代版の三の鳥居が建立されています。
三の鳥居にも「五龍大明神」の神額が掛かります。
手水舎。
三養基型の狛犬と思われますが、台座には「文化十三丙子 春吉日」の刻銘が入ります。
拝殿の中の様子。
銅板葺き流造の本殿。
社殿左側に祭祀されている「正一位稲荷大明神」。
「正一位稲荷大明神」の石祠。
「正一位稲荷大明神」の奥に祭祀されている摂社。
鳥居には「如意山」の神額が掛かります。
右の柱に「大権現」という刻銘が読み取れます。
石祠。鍋島杏葉紋が入ります。
石祠の側面には「弘化三年丙午六月吉日」の刻銘が入ります。
こちらは合祀された稲荷社でしょうか。
社殿右側の境内には、小さいですが入母屋造り妻入りの社殿が建立されています。
こちらには九頭龍権現社と不動明王が祭祀されています。
社殿右側にも「正一位稲荷大明神」が祭祀されています。
社殿の裏にある薬師如来。
境内奥の石祠。
境内左側に祭祀されている石祠群。
境内右側に祭祀されている石祠群。
境内奥に祭祀されている石祠群。
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