こちらの八町大神宮は、JR長崎本線肥前白石駅の北東2kmほどの距離、佐賀県杵島郡江北町大字八町南区の集落の南の外れに鎮座されます。
六角川に架かる国道207号線の六角橋北側から六角川沿いに東へ1.3kmほど、江北町内を流れる川の水が六角川に流れ込む量を調整する東古川排水機場の西に位置しています。
境内入口には台輪鳥居、境内には比較的新しい“しょうわ”と思われる狛犬が守護する千鳥破風の向拝付きの入母屋造りの拝殿が建立され、境内の北には砥川型岩乗り狛犬が守護する石祠群、さらにその北に瓦葺きの簡素な境内社の八幡神宮の社殿が建立されています。
佐賀県神社誌要によると主祭神は天照皇大神と豊受大神、その後一社が合祀されて應神天皇が追加されたとあるので、この八幡神宮が合祀された一社であろうと思われます。
社頭。
参道入口に立つ台輪鳥居。
鳥居には「大神宮」の神額が掛かります。
瓦葺き入母屋造りの拝殿。向拝には立派な千鳥破風の向拝が設けられています。
“しょうわ”と思われる狛犬。
拝殿の中の様子。
村社 八丁大神宮 杵島郡山口八丁
“佐賀県神社誌要”より引用
祭神 天照皇大神 豊受大神 應神天皇
提供元年の春灣口を切り江河となすの里八丁ある故に地名を八丁と云ふ、江河を塡て田畑を拓き堤塘を築きしも、地質甚だ柔らかにして地鎭の術なし、識者曰く我國は神國なり、神は萬物の主宰にして感應をたれ、人民の保護をなし玉ふ、就中伊勢大神宮は至尊の大神なり今此地も右の御神を勧請し尊崇を盡せば、必す萬古不易確く鎭らせ給はんと、依って教えに従い、伊勢國會に参詣し、神霊を幣帛に移し奉り、此地に勤齋せり是れ實に貞享元年七月十六日なり、神の此地に鎭座ありて以来暴風震動あるも未た嘗て危害を生することなし、誰か神徳を感謝せさるものあらんや。明治十四年一月十五日村社に昇格せり。無格社合祀に依り祭神應神天皇を追加す。
流造の本殿はコンクリート製で、周囲は玉垣で囲われています。
案内板が無いので由緒等は不明ですが、夏になると境内では夏まつりが行われているようです。
社殿の左側には石祠群が祀られており、そこには砥川型の岩狛が安置されていました。
建立された年月日は不明ですが、その作風からすると江戸時代後期に作られた狛犬さんではないかと思われます。
石祠群の左側に建立されている社殿。参道には幟立石と石灯篭が建立されている。
境内の左側には題目塔と記念碑が建立されています。
記念碑を見ると「八幡神宮改築工事篤志寄付者」とあり、この社殿が八幡神宮であろうと思われます。
八幡神宮の拝殿の中の様子。
本殿正面。
本殿覆屋。
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