こちらの湯屋天神はJR唐津線相知駅の東南東およそ2kmの距離、佐賀県唐津市相知町湯屋地区に鎮座されます。
県道350号相知厳木線「浜白橋」交差点から北へ、厳木川に沿って東に進むとやがて左手に現れる田圃の北側にある小山の中に位置し、すっかり畦道と化した参道を山に向かって歩を進めると、小山の入り口には獣除けのフェンスが設置されており、フェンスを開けて中へ入ると雑木林の中に吸い込まれるように石段参道が伸びています。
石段を上った先の境内入口には幟杭が奉納され、広くない苔むした境内の奥に吹き抜けの切妻造の拝殿と、菅原道真公座像が祀られる流造の本殿が建立されています。拝殿内に掲げられている顕彰詞によると、社殿は昭和28年に建立され平成13年10月に改築と記されています。
荒廃しているという表現は適切ではないかもしれませんが、改築された年よりももっと長い歳月を経ているような印象を受けてしまいました。年々、参拝に訪れる方やお世話をする方が少なくなっているのかもしれませんが、寂しい限りです。

石段参道。
入口と周囲には害獣除けのフェンスが張り巡らされていますが、これは社殿側から田圃に害獣が入らないようにしているものです。

石段を上ると境内入口に幟杭が奉納されています。
そう広くない境内の奥に、吹き抜けの切妻造り平入の拝殿が建立されています。

拝殿の中には顕彰詞が掲げられています。
篤志家顕彰詞
湯屋区住民は神社の祭事については氏子一同心して奉祀してきたところである 昭和弐十八年の吉日 山口禎造翁と舎弟海軍提督山口信介閣下は荒廃した上宮旧神殿の新築資金を寄贈され宮大工吉松勇棟梁に依頼して現在の見事な社殿の建設がなされた
以後四拾八年の歳月を経 上宮神殿の老朽化が激しくなり氏子一同協議の上改築を計画したところ今回においても山口禎造翁の嗣子山口敏雄殿が父禎造翁と叔父山口信介殿の遺志を受け継いで改築費の全額を寄贈なされた
氏子一同はこの氣高い御寄贈を拝受し山口家の美徳にこたえて上宮神殿の改修に引き続き懸案の上宮拝殿床の修繕と下宮神殿の改修工事を吉松邦美棟梁に依頼し今日の佳き日に社殿改築工事完成の運びとなり山口家父子二代にわたる崇高な特別御寄贈に対し氏子一同はここに感謝の誠を捧げると共に併せて湯屋区の発展と氏子一同の幸を祈願いたすものである

拝殿の裏の石段を上った先に建立されている本殿。

本殿の中の様子。
梅鉢紋の拝殿幕が掛かり、その奥に菅原道真公の座像が祭祀されています。
流造の本殿。

石塔。

祇園社の石祠。

「石工 吉蔵」の刻銘が入ります。

おそらく昔は氏子の皆さんの動きも活発だったのでしょうが、だんだん人の出入りも少なくなってきたのでしょう。
こうして次第に忘れ去られていく神社の数もこれからは増えていくと思われますが、そういう神社の存在していた記録が少しでも残していけたらいいかなと思います。
と言っても、私自身いつまで残せるかも分かりませんがw
それでは今日も最後までご覧いただきありがとうございました。
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