烏森稲荷神社 肥前狛犬 佐賀県小城市小城町本町

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小城市の神社

こちらの烏森稲荷神社はJR唐津線小城駅の北北西およそ600mの距離、佐賀県小城市小城町本町地区の桜丘と呼ばれる小丘の上に鎮座されます。

国道203号線沿いの「北小路」の信号から南に入り、通称「梧竹通り」と呼ばれる小路を道なりに進むと佐賀県立小城高等学校の校門があり、さらに進んだ小城市の桜の名所である小城公園の北側に位置しています。

烏森稲荷神社は、公園の南側に鎮座する岡山神社の境内社になりますが参道は独立しており、梧竹通りの東側80mほどのところに参道入口があり、そこに朱色に塗られた一の明神鳥居が建立されていました。

神池の横の参道を進み、7メートルほどの石造りの神橋を渡ると道を挟んだ石段参道の前に二の鳥居、さらに途中に三の鳥居が奉納され、境内に上がった先には20数基の朱色の稲荷鳥居が社殿に向かって伸びており、一瞬別の世界に来たかのような気持ちになってしまいました。

境内には入母屋造りの拝殿と流造の本殿が建立されており、昭和の名工平川伊三氏製作の砥川型狛犬と後期の肥前狛犬の二対が奉納されています。

由緒には江戸屋敷内に奉祀されていた烏森稲荷を遷宮し、宮島武蔵によって勧請され、元禄12年9月に三代藩主鍋島元武によって創建されたとあり、御祭神は蒼稲魂命です。

小城高等学校は私の母校なのですが、学生の時にこの神社の存在に気づいていたのかと問われると、声高に「イエス」とは言えませんが神社があったことはなんとなく覚えていますw

さて、また青春時代の思い出を辿りながら参拝させていただくことにしましょう。

参道入口の一の稲荷鳥居。参道右には神池がありましたが、正直に申し上げて、この神池の存在は私の記憶には全くありませんでした(;^_^A

高校時代、私はいったい何をしていたのでしょうかw

稲荷鳥居の横に立つ桜岡公園の案内と石碑。

大正14年に建立されたという7m弱の三径間桁橋の石造り神橋。

参道の右側は神池があります。

公園内に立つ二の鳥居。

「正一位稲荷神社」の神額と由緒書き。

 小城公園の岡山の頂上にある。
 元禄12年(1699)9月、三代藩主鍋島元武によって創建された。江戸屋敷内に奉祀されていた「烏森稲荷」を遷宮し、宮島武蔵によって勧請されたものという。

境内へと続く石段参道。

石段参道途中に立つ三の鳥居。この鳥居も公園の遊歩道にあります。

石段参道を登り境内に近づくにつれて現れたのが、おびただしいほどの朱色に塗られた稲荷鳥居でした。

それが境内入口から社殿前まで一直線に続いているんです!

ちょっと待て!こんなのは私が高校生のころは無かったはずだ!

いくら私が鈍感でも、こんな稲荷鳥居が並んでいたなら嫌でも気が付くはずですもんw

あらら、よく見ると立ち並ぶ稲荷鳥居の中に石造りの四の鳥居があるではないですか!

「正一位社」の神額が掛けられています。

藤棚の休憩所。

そして拝殿前には狛犬さんがお待ちかねです。

昭和の名工(私的にw)の平川伊三さんという石工さんによって制作された狛犬さんです。

岩狛さんだと思うのですが、阿形も吽形も前足だけを岩に掛けていて、これまで見てきた岩狛さんとはちょっと雰囲気が違いました。

昭和7年生まれの狛犬さんは筋肉質で引き締まった体型で、横に開いた耳やその風貌も独特の雰囲気を持っています。

御神馬。

さらにその向こう側には可愛い狛犬さんがいました♪

ユーモラスな表情の肥前狛犬さんですが、おそらく後期に製作されたものと思われます。

肥前狛犬にしては顔の表情もしっかりとしていますし、背中などの体型を見るとかなりしっかりした造りになっています。

こちらが拝殿。

そして本殿。

末社に石仏群。

「稲荷神社」。

御神木。樹齢は推定400年の巨木です。

御神木。

朱塗りの稲荷鳥居の行列を見たときには、思わずどこか別の場所にタイムスリップしてしまったような気になりましたw

青春時代の一こまを彩ってくれた小城公園。

まったく変わっていないようでも、やっぱりどんどん変わって行っているんですね。

さあ、次に小城公園に行くときはやっぱり桜の季節だよねw

今日も最後までご覧いただきありがとうございました。

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