こちらの豊玉姫神社は西九州新幹線嬉野温泉駅の南西およそ1.8kmの距離、佐賀県嬉野市嬉野町大字下宿乙地区に鎮座されます。
日本三大美肌の湯で知られる嬉野温泉の街なかにある美肌の神様で、嬉野市から長崎県東彼杵町へと抜ける国道34号線沿いの、嬉野温泉街のど真ん中に位置しております。
海の神、綿津見神の娘で竜宮城の乙姫様と言われる豊玉姫を祭祀しており、室町時代以前の創建という古社です。
参道入口から三基の鳥居が奉納された境内には、三対の狛犬が守護する瓦葺きの入母屋造りの拝殿と銅板葺きの流造の本殿が建立されています。
また、嬉野川に住んでいる大なまずが豊玉姫のお遣いであるという伝承があることから、ここでは白磁のなまず様が祀られています。
参道入口の一の台輪鳥居。
一の鳥居には「豊玉姫神社」の神額。
参道の途中にはところどころに道路が横切っています。
県道303号線を渡って次の二の鳥居へ。
こちらは肥前鳥居の特徴が現れていますので、おそらく後期型の肥前鳥居ではないかと思われます。
二の鳥居の神額にも「豊玉姫神社」。
三の鳥居も台輪鳥居です。
三の鳥居の神額には「豊玉姫宮」とありました。
境内入口の両脇の祠にも白磁のなまず様が祀られています。
境内入口の狛犬。
狛犬と御神木。
手水舎。温泉地ならではでしょうか、ここでは水道からは温泉のお湯が出てきますw
夏だったら「なんだかな~」って感じになるかもしれませんが、寒い冬にはこの温泉水はありがたい限りです。
こちらは神楽殿。
神牛。なんとも愛嬌のあるお顔をしておられますw
なまず様。
なまずお社。
なまず社の横にはお参りの仕方が書いてありまして、二礼、二拍手、一礼をした後に、「素肌健康」「しわ退散」「皮膚病の退散」などの願いを込めて願い水(聖水)をひしゃくで「なまず様」にかけるとあります。
遅ればせながら、私も美肌になれるようお願いしてみましたw
拝殿。
拝殿前の狛犬。
こちらの狛犬さんは、塩田町の名石工の筒井幸右衛門政継(寛政9年(1797年)~安政4年(1857年))さんが、まだ2代目を踏襲する前の20代後半の幸吉のころに造ったとされているようです。
大正13年に改修が行われていて制作年月日は不明ですが、筒井幸吉さんが製作した狛犬の特徴である鬣を大きく巻き上げた獅子面で筋骨隆々、勇猛さと躍動感あふれるスタイルには大きく惹かれるものがあります。
アップでご覧いただくとわかると思いますが、左側の吽形の右足が折れているのがなんだか痛々しいです。
大正13年に改修されたとのことなので、それよりも前に造られたのでしょうが制作年月日は不明だそうです。私としてはずいぶん古いような印象を受けました。
「美肌の神様」豊玉姫神社 縁起
豊玉姫神社の歴史は古く、天正年間(1573~1591)兵火のために焼失してしまいましたが、元和年間(1615~1623)には社殿を再建し、藩主鍋島直澄の祈願所となりました。以来、歴代藩主をはじめ、地元住民の尊崇を集めています。
境内縁起書きより
豊玉姫様は海神の娘で、竜宮城の乙姫様としても有名であり、古来より水の神、海の神として、広く崇敬を集めております。
豊玉姫神社のお遣いは「なまず」です。嬉野川を支配し、郷の守りについていて、国に大難あるときには六尺の大なまずが現われて、神託を告げると語り伝えられています。この「なまず様」は古来より「肌の病」にご利益があるといわれています。豊玉姫様は乙姫様であり、その肌は美しく、嬉野の温泉の効能と相まって「美肌の神様」として、広く親しまれています。
本殿。本殿には陶器製の狛犬が本殿をお守りしていらっしゃいました。
社務所です。
天照皇大神宮。
境内右にある境内社。天満宮。
天満宮の本殿はこちらの石祠です。菅原道真公が祀られています。
境内右奥にある石祠群。
本殿裏の石祠群。水神・八天狗などがありました。
境内左側にある境内社。八坂社。
金刀比羅神社。
やっぱり美肌美人をお願いに来ておられるのでしょうか、この日参拝に来ておられたのは若いカップルばかりでしたw
シニアカップルにはちょっと場違いな感じもしましたが、きれいな神社でなまず様と一緒に心も洗われたような気がしました。
今年もいい年でありますように!
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