庭木神社 佐賀県武雄市西川登町大字神六庭木

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武雄市の神社

こちらの庭木神社は、JR佐世保線「武雄温泉駅」の南西10kmほどの距離、佐賀県武雄市西川登町大字神六庭木地区の集落の中央付近に鎮座されます。

県道102号塩田波佐見線「西川登小学校前」の交差点を西に入ると、六角川と西川登小学校に挟まれた鎮守の森が現れます。

鎮守の森とはいえ、神社入口側は低木が植えられているせいか至って開放的で、境内には瓦葺き千鳥破風唐破風付き入母屋造りの拝殿と銅板葺き流造りの本殿が建立されています。

社頭。

境内入口に立つ台輪鳥居。

神額には「庭木大明神」と彫られてある。

手水舎。

神庫。

千鳥破風唐破風付きの入母屋造り拝殿。貫禄がありますよね。

拝殿の中の様子。幣殿入口には「庭木神社」の神号額が掛かる。

拝殿の中に神号額の由来が掛けられていました。

戦争を経験したことがない私でも、由来を読んでいると当時の光景を容易に想像することができます。

御神号額由来
 昭和十九年、太平洋戦争は最激戦を迎え、国家の状況最悪の状態であった。
 当時の西川登村立西川登青年学校(学校長田中清)に於ては、職員生徒一同協議の上自分達の労働にて出来た米を奉納せんと、献穀田の作業を計画し、庭木区神園の中原平蔵氏の水田を借り受け、耕起作業(牛耕)苗代・田植・除草・害虫駆除等、生徒全員が家庭作業を犠牲にして当たり、十月末に稲刈、脱穀等半年間努力精進した。その間には空襲警報や機関銃の音を頭上で聞くことしばしばであった。
 出来上がった米を一粒一粒、生徒全員で選別し、森勝三郎氏が精魂こめて作った米俵(一斗入)三俵に入れ、校長及び生徒代表にて伊勢神宮、明治神宮、靖国神社へ参拝奉納された。
 其の帰途、伊勢神宮改築用の御用材(桧)の一部を譲り受け、京都の業者に依頼され、立派な御神号額が出来た。
 その費用は、青年学校職員・西川登町青年団員全員の浄財による。
 奉納は昭和二十年二月十一日。

本殿正面。

庭木神社由緒
所在地 佐賀県武雄市西川登町大字神六字野副(庭木区)
祭 神 素盞嗚命
由 緒 治承元年(高倉天皇)、雲州列兵衛なるものこの地に転住せり。
    庭木隼人佐藤原宗顕なる者、雲州より来りて列兵衛の養子となる。
    この者、後藤氏(武雄領主)に属し、而してこの地を領す。
    五十年後頃、宗顕、出雲の杵築神社を勧請し祭り、庭木大明神と号し崇敬怠らずを、
    里人達も鎮守神となし尊信を厚くせり。

銅板葺き流造の本殿。

境内社。「地神水神」

奉納絵馬。

御神木。

境内の様子。

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