母方の親せきのご機嫌伺いで唐津市にやって来ました。
唐津に行くので、お昼は「濱かつ」でとんかつを食べようと妻と話していたんですが、私たちが来るってことで先方が昼食の用意をしていたのでとんかつはナシになりました。
ちょっとした距離のドライブでも、美味しいものを食べたらプチ旅行の気分が味わえるのですが、今回は仕方がないですね。
ご機嫌伺いが終わり、ジャスコで夕食の買い物でもして帰ろうかということになったのですが、私の脳裏に浮かんだのが佐志の農道わきにあった道祖神の「陰陽石」でした。
最後に見たのもずいぶん昔のことで、今はどうなっているんだろうという興味と懐かしさに負けてそこまで車を走らせることにしました。
「陰陽石」というのは、男性のシンボルを模した道祖神と、女性のシンボルを模した道祖神のことです。
両方とも石でできた石碑で、昔、子どもたちが小さかった頃に連れていったら大喜びをしたことを想い出します(笑)
唐津市の竹木場から鎮西町まで東松浦半島を縦断する道路で、昔は「広域農道」と呼んでいたけど今はなんと呼んでいるんだろうか。
その広域農道の住所的には唐津市佐志になるところだけど、道路沿いにこんもりとした樹々に囲まれているのでしっかり見ないと見落としてしまうような祠でした。
「このあたりだったけどな~」
最後に見てからもう30年は経つかもしれないが、記憶はたしかなのに2回往復したけど分からない。
その近辺も開発が進んでいたので、ひょっとしたら撤去されたのかもしれないなと思いましたが、ちょっと開けた場所があったのでナビを確認するため車を停めました。

そこにはお店らしき建物が建っていましたが、今日はお休みなのかシャッターが閉まっています。
看板には「太閤一里塚」と書いてありました。
「ひょっとして!」
ピンときた私は、その開けた場所の入り口付近のこんもりとした茂みを調べてみました。
すると大正解!ここだったのです!
昔私が来ていたころは、うっかりすると見落としてしまうように樹々に囲まれていたのですが、現在はすっかり整備されていたので分からなかったはずです。

「太閤一里塚」という名前があったことも今日初めて知りました。

これです!これです!
右側にドーンと大きな男性のシンボルの石碑が、そして左側にはちょっと小さめの男性のシンボルと女性のシンボルの石碑が並んで鎮座しておられます。


小さな方の陰陽石にはたくさんのお供え物が並んでいました。
きっと何かの祈願に来た人が置いて行かれたものなんでしょうね。

あらら、大きな方にも女性のものがありました。
男性のシンボルのあまりのデカさに気を取られ、こちらには気が付かなかったようです(笑)
石碑にあった文によると…
ここは昔、江戸時代には唐津と名護屋城を結ぶ名護屋街道と呼ばれていて、この場所が3番目の一里塚(今で言う休憩場)にあたるため旅の安全を祈念して庚申塚を建て、そこに地域の子宝祈願である男女の御神体が同時に祀られたようです。
昔からこの石碑の文があったのかどうかはさっぱり記憶にありませんが、齢を重ねるとこういう道祖神も文化財として見るようになりました。
若いころはどうも色欲の方が勝っていたようです(笑)
病を癒すと言われる薬師如来をモチーフにした道祖神。 男性の象徴が特徴的です。 |
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