田上神社 佐賀県神埼市神埼町大字竹若宮

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雑学

こちらの田上神社は、JR長崎本線神埼駅から北北西に1.3kmほど離れた、佐賀県神埼市神埼町大字竹若宮地区鎮座。県道31号佐賀川久保鳥栖線と分岐し、県道269号若宮鶴線の起点となる「二子」交差点の東方に流れている城原川の西岸に位置しています。

集落の南の外れに一の鳥居が建立されており、木立に囲まれた参道を進んで行くとやがて境内入口に二の鳥居、白砂が敷かれた境内に入母屋造の拝殿と銅板葺流造の本殿が建立されています。

境内西側にはブランコや滑り台などの子どもたちの遊具が配置され、拝殿前には一対の石灯籠と塩田型と思われる蹲踞の狛犬が奉納されています。御祭神は、天岩戸の中に閉じこもった天照大神を外の世界に引き出したといわれる手力雄命です。

参道入口に建つ一の明神鳥居。

「田上神社」の神額が掛かります。

境内遠景。

境内入口に建立された二の台輪鳥居。

こちらも「田上神社」の神額が掛かります。

東の柱には「神埼郡西郷村大字竹村中」、右の柱に「明治四十五壬子四月一日」の刻銘が入ります。

境内の西側にはブランコや滑り台など、子供たちの遊具が設置されています。

御神木。

向拝付きの瓦葺入母屋造の拝殿。

そして拝殿前に奉納された塩田型のシルエットの狛犬さん。

左の台座に「大正八捻十月吉日」、右の台座に「藤津郡五丁田村 石工 岩永佐八」刻銘が入ります。

向拝下の様子。

拝殿内の様子。長押の上には「神降郷栄」と書かれた額が掲げられています。

手力男尊神像縁起
昭和二十一年八月東都の彫刻家藤岡夫妻當社務所に疎開す此老夫婦は東都にて戦災に遭ひ知人尾崎の水町氏を頼り来村す氏は名を幾光田と称す徳島県小松島の人夫人は善子高村光雲の二女なり當時世相混乱氏も枝を振ふに由なく小品を作りて生計す清貧の中にも感謝の為に祭神の像を彫刻して奉納せんと苦心構想を練ること歳餘にして原型成る ー後略ー

神像の完成間近にして亡くなられた藤岡さん。掲げられている縁起によると「神降郷栄」の額は、藤岡さんの志を引き継がれた方によりその予材を使って作られたそうです。

三十六歌仙の額でしょうか、長押の上にぐるりと掲げられていますが、すっかり色あせてしまっています。

銅板葺流造の本殿。

拝殿の左側に建立されている手水鉢と皇太子殿下御成婚の記念碑。

昭和32年に移転されたとされる「柳内若宮神社」の石祠。

本殿の右側に祭られている石仏。

記念碑には由緒が刻まれていました。

田上神社由緒略記
神社名 田上神社
鎮座地 神埼郡神埼町大字竹若宮三五一
御祭神 手力雄命
御神徳 農業神(田之神)
    健康守護神(身体健康・手力)
由緒  古くは田ノ上(カミ)大明神ト称シ長禄三年(一四五九)ノ櫛田宮末社小社敷地畒歩帳ニ初見スル。三郡山内(神埼佐賀小城)ノ領主ノ神代勝利公ノ尊信アリ。竹村近傍数百余戸ノ氏神トシテ栄エ、神埼五社ノ一ツトシテ春三月九日ニハ能舞ノ奉納ガアリ、一同川久保殿ノ裃ヲ着用シテ槍薙刀行列デ参拝シタ。明治六年二月社格ヲ村社ニ列セラレタガ終戦ヨリ止ム。現今ノ社殿ハ嘉永七年(一八五四)川久保領主神代賢在ノ造営シタモノデアル。神殿ニ奉納シテアル御祭神像ハ昭和二十一年八月東都ヨリ疎開サレテキタ彫刻家藤岡(幾光田ト号ス)妻(高村光雲ノ二女)ハ当村公民館ノ一室ヲ間借リシ小品ヲ作リ質素ナ生活ヲ送ッテイタニモ拘ワラズ当村ニ世話ニナッタ御礼ニト御祭神ノ彫刻ヲ決心シ一意専心工ヲ進メテイタガ不幸ニモ病ニ罹リ昭和二十六年三月九日完成寸前ニ他界サレル。

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