多久市内にある多久市まちづくり交流センター「あいぱれっと」で、「多久子文書学校の活動展~近世石工の足跡をたどる~」というチラシを見つけました。
私の目は、チラシの下の方に載っている一対の肥前狛犬にくぎ付けとなりましたw
近世石工の足跡をたどるというテーマに興味をそそられ、多久市多久町の西渓公園のそばにある多久市郷土資料館で開催されているとのことだったので行ってみました。
多久古文書学校とは、地域史料の整理保存と啓発に取り組みを目的に、当時の多久市立図書館の司書や研究者たちの協力を得て昭和53年(1978年)に結成されたそうです。
多久市が所蔵している古文書の、「御屋形日記」と「肥陽旧章録」を読み解きながらそれを活字化するという活動を行っておられるそうで、今回は肥前石工について調査されたものを発表されています。
館内には肥前狛犬が一体展示してありました。
肥前狛犬の詳細が書かれています。
「御屋形日記」というのは、昔の佐賀藩多久領の業務日誌のことです。
御屋形日記に書かれている達筆な文字を読み解いて活字化されています。
現在の小城市牛津町砥川の砥川村は多久領であったので、砥川石工の出稼ぎについての決まりや出稼ぎの禁止などについてお触れが出たことなどが書かれています。
ただ、出稼ぎ禁止のお触れもかなり緩やかであったと記されています。
出稼ぎをすべて禁止したら石工の生活が立ち行かなくなることを危惧し、他所に出て行っても常住することがなければいいよという感じだったようです。
だから福岡県や熊本県などでも肥前鳥居や肥前狛犬を見ることができるんですね!
もっと興味深かったのは、寛政5年ごろには五島や平戸への280日の旅切符が発行されていること。このころに平戸や五島の肥前鳥居が造られていたということなんですね。
多久若宮八幡神社の二の鳥居の銘文の作成を、佐賀藩多久領出身の儒学者草場佩川(草場磋助)に命じたという記録。
平川与四右衛門の作品等についての説明。
17世紀後半に砥川村にすい星のごとく現れた平川与四右衛門。肥前石工を語るにあたっては天才と言われた、この平川与四右衛門抜きでは語れないと言われています。
そして郷土資料館で見つけました↓
多久市発行の「多久の肥前狛犬(平成23年10月1日発行)」の本です。
こういうのがあったんですね!もっと早く見つけとけばよかったなw
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