天子社 佐賀県杵島郡江北町大字上小田観音下

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江北町の神社

こちらの天子社は、JR長崎本線河北駅の西北西およそ2kmの距離、佐賀県杵島郡江北町大字上小田観音下集落北の外れに鎮座されます。

国道34号線の杵島商高前交差点から北へ200m、長崎街道を右折して道なりに1.5kmほど進んだところにある三差路を左に曲がったところに一の鳥居が建立されており、その先500mほど西に位置します。

社頭に立つ一の鳥居。

参道の伸びる先に鎮守の森が見えます。

二の台輪鳥居。

「天子社」の神額が掛かります。

さらに参道は続きます。

案内板。

由来と沿革
 神社の伝承によると、この神社は、神功皇后が朝鮮出兵の途中、この地に逗留した故事に始まると伝える。また奈良時代、天平の頃(八世紀)、小田駅長広足は、仲哀天皇と神功皇后夫妻と応神天皇を祭神とし、社殿を建立(大森神社)し、五穀豊穣・交通安全を祈願したと伝える。天子社は、天皇を別称、天子と表現することに由来。ー以下省略ー

下の境内の入口に建立されている三の鳥居。肥前鳥居の進化系です。

「天子社」の神額が掛かります。

社務所。

御堂。

上の境内は玉垣で囲われています。

手水舎。

鐘楼。

瓦葺き入母屋造りの拝殿。

そして拝殿前には狛犬が奉納されており、高い台座の上から塩田型と思われる蹲踞の狛犬が睨みを利かせています。

台座には「大正十四年四月十七日」「石工 岸川弥市」の刻銘が入ります。

向拝下の様子。

拝殿の中の様子。

本殿。この時には足場が組まれており、なにかしらの工事が行われると思われます。

天子社の境内南側にある「乙護法」の鳥居。

「乙護法」の神額。

左の柱に「杵島郡横邊田郷小田」、右の柱に「明和五戊子年二月良辰日建之」の刻銘が入る。

境内に拝殿はなく、本殿石祠の前では明治13年6月生まれの砥川型の岩乗り狛犬が守護しておりました。

恐竜型の岩狛さんは、阿形は岩の上から身を乗り出して今にも飛び掛からんばかりの迫力、構えの吽形も低い姿勢から威嚇するような迫力と躍動感は秀逸です。

おそらく小城市牛津町上砥川の「内砥川八幡神社(上宮)」の拝殿を守護する岩狛さんを製作された石工さん、もしくはその流れをくむ石工さんによって製作された狛犬さんではないかと思われます。

とても良く似ていますが、こちらの方が25年後に製作されているのでもっと洗練されているように感じます。

境内の案内板によると、「大森神社を再建し、この神社を上宮(乙護法)とした」「社領を寄進した応神天皇を祭神とした中宮(天子社)とし若宮八幡を下宮とした」とあるので、どうやらお隣の天子社が中宮になるようです。

石祠群。

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