こちらの與止日女神社は長崎自動車道佐賀大和ICの北西およそ1.3kmの距離、佐賀県佐賀市大和町大字川上地区に鎮座されます。
佐賀市内から福岡市内へと伸びる、国道263号線を三瀬方面に向かう途中の山のふもとにあり、九州の嵐山とも呼ばれる川上峡の嘉瀬川河畔に位置します。
式内社、肥前の国の中で最も格式の高い肥前国一宮で旧社格は県社、淀姫神社と表記されることもあり、地元の人からは河上神社や淀姫さんと呼ばれて崇敬を集めています。
境内入口には、佐賀初代藩主鍋島勝茂公が慶長13年に奉納した肥前鳥居が立ち、境内には三対の狛犬が守護する銅板葺き唐破風付き入母屋造りの拝殿と流造の本殿が建立されています。御祭神は與止日女命。
これまでにも淀姫神社に参拝してまいりましたが、調べてみると佐賀県には淀姫神社がとても多く存在するようです。
淀姫神社は、水の女神の淀姫命(よどひめのみこと)を祭神とした神社で、その淀姫という方は神宮皇后の妹にあたる方だと言いますが、また一説には豊玉姫であるとも伝わります。
そんな高貴な方にもかかわらず、日本の伝統的な歴史書である古事記や日本書紀といった記紀神話にも、その名が一切出てこない謎の多い神様なのだそうです。
こちらは二の鳥居となります。
肥前一宮「與止日女神社」のまだ新しい看板が立っていました。
その後方には「猿田彦大神」の石碑があります。(この日は横の道路の舗装工事をやっていました)
参道と境内の様子。
左手には巫女さんが何やら作業をしておられました。
拝殿に向かって参道を進むと三の鳥居がありました。
石造この鳥居は、笠木・島木・貫・柱の各部分の形に特有の様式が認められる肥前鳥居で、佐賀市重要文化財に指定されているようです。
肥前鳥居とは肥前地方で造られる独特の鳥居の形で、特に慶長年間(1596~1615)に盛んに造られたことから「慶長鳥居」ともいわれているとか。
肥前鳥居の特徴はというと…
・3つに切れた柱が段々に積まれている
・下の柱ほどだんだん太くなる
・笠木と島木が1つの石材で造られている
・笠木と島木が反り上がっている
・島木と柱との間に台輪が付いている
というところでしょうか。
さて、柱には「慶長十三歳仲秋吉祥日 鍋島信濃守藤原朝臣勝茂」と銘文がありましたので、どうやら佐賀初代藩主鍋島勝茂公が慶長13年(1608)に寄進したことがわかります。
神額には「肥前鎮守正一位 河上淀姫大明神」とあり、柱には「扶桑国肥前州路鎮守正一位河上淀姫大明神 奉建立石鳥居三柱 鍋島信濃守豊臣朝臣勝茂」と刻んでありました。
さらに境内を進むと右側に楠の巨木が姿を現しましたが、その存在感たるやこれは只者ではありませんぞw
樹齢がなんと1400年という「與止日女神社の楠」。
神社の歴史を創建当初から見守ってきたこの楠ですが、風雪にさらされたせいかところどころに治療の跡が見えるのが痛々しい…。
樹高20メートル、幹回り7.2メートル、枝張り22メートルの楠の巨木ですが、これからもずっと長生きしていただきたいものです。
一.由 緒 欽明天皇二十五年(564)創祀され、
延喜式内社で、のち肥前国一宮と崇められ
弘長元年(1261)正一位を授けられた。
朝廷の御崇敬あり、また、鎌倉幕府のはじめ
武門、領主、藩主の尊信を受けた。
明治四年県社に列す。
大楠を過ぎ境内へ向かうとすぐ右手に「河上神社金精さん」がいらっしゃいました。
こちらは、子孫繁栄を願う人たちにとってのパワースポットとして鎮座されており、子宝に恵まれない方がお参りされているようです。
河上神社金精さん由来記
自然石又はこれに人工を施した男根、女陰の
形をしたもので男性、女性の象徴を神として祭った
のが古い昔から日本の特に僻地山村に多く見られる
ようである。金精さまは本来性の神で、それが
生産神となり所によっては邪悪の神を塞ぐ塞神とし
ても祭られた。形からみて初め、庶民の縁結びの神、
性病平癒祈願の神、子宝の神として信仰が あった。
その昔 神功皇后三韓征駐の折り 当地におとどまり
なされし 妹君の与止日女様が 子宝に恵まれぬ
ために ひそかに館の一隅にあった 男根の
自然石に 肌をふれて 子宝を願ったところ、
色あくまで白く、きめこまやかにして 玉の如き
子供が授かったという。以来金精さんとして
河上神社の一隅に安置してありましたが今度皆様
の 要望により一般に公開致します。
なるほど、よく見ると片方の石は男性のシンボルに見えますし、その先に立ちはだかる(笑)のはまさに女性のもののようです。
この金精さんは、このいわゆる陰陽石になっているようです。
コロナの影響なのか、現在手水舎は水が出ておりませんでした。
手を合わせて、「祓え給い、清め給え」を二度唱えた後拝殿に向かいます。
社務所。
御神木。
境内の左手にある與止日女天満宮(よどひめてんまんぐう)。
手水舎を過ぎて拝殿へ向かうと、ここでは三対の狛犬さんたちが私たちを出迎えてくれました。
上の一対は一番手前の狛犬さん。1937年の奉納のようです。
尻尾の毛量がものすごいw
こちらは二番目の狛犬さん。この新しい狛犬さんは、與止日女神社の1450年式年大祭(2014年10月26日)を機に新しく設置されたとのことです。
現代風で筋骨たくましいのですが、やはり味わいがありませんよねw
台座が古いので、きっと別の狛犬さんがいたと思い調べてみると、江戸期のものと思われる出雲型の狛犬さんがいたようです。
おそらく風化が酷かったのでしょうね。でも見たかったな~
三対目は拝殿のすぐ手前におりましたが、奉納年を確認することはできませんでした。
吽形は玉を取っており、大きく顎を突き上げまるで見えを切っているかのようです。
拝殿。
拝殿にはたくさんの天井画が…
この天井画は山幸彦海幸彦と菅原道真伝説が描かれているそうで、番号順に見ていくと一つの物語になるそうですよ。機会があったらぜひご覧になってみられてはいかがかと。
本殿。
拝殿の右わきにある夫婦杉。
参拝した後でこの杉の周りを回ると、夫婦・恋人・友人同士が仲睦まじく、家内安全で子孫繁栄との御利益があるそうです。
こちらの西門は佐賀県指定重要文化財です。
1570年に、龍造寺隆信と大友宗麟が争った今山の戦いで焼失したのを、1573年に龍造寺政家公が再建したとのことですが、なんと、1813年の大火でも焼けずに残ったそうです。
この大和町内でも最も古い建造物だということです。
こちらがその大火で焼けてしまった大楠の根っ子なんだそうです。
これを見る限りでも、相当大きな巨木だったようです。
社殿背後には16の石祠が並んでいましたが、百代宮(豊玉姫命の和魂)、代永宮(豊玉姫命の荒魂)、若宮神社(仁徳天皇)、香椎社(神功皇后)、竃門神社(真津彦命)、寶満社(玉依姫命)、王子社(大伴別合)、淀姫社(豊玉姫命)、住吉社(海童神)、志賀社(海童神)、加茂社(加茂別雷神)、春日社(天之子屋根命)、稲荷社(倉稲魂神)、阿蘇社(健磐龍命)、山王社(大山咋神)、乙宮社(三女神)、高良社(武内宿禰)。百代宮(豊玉姫命の和魂神)、代永宮(豊玉姫命の荒魂神)が祀られているそうです。
どんどん調べていくうちに、私としては思わぬ大作となってしまいましたw
狛犬さんにもどんどん愛着が湧いてくるし、神社の由緒やいわれを知るにつれどんどんのめり込んでいってしまいそうな感じです。
もっと田舎の小さなお社にもいろんな物語がありそうですね。そしてまた、いろんな狛犬さんとも出会えそうです(^^♪
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