こちらの川上丹生神社は和銅二年の創建、嬉野町近辺にある丹生神社六社のうちの一社で、西九州新幹線嬉野駅の南西およそ5kmの距離、佐賀県嬉野市嬉野町大字不動山字丹生川地区に鎮座されます。
社殿は、国道34号線沿いを流れる塩田川の上流、うれしの茶の発祥の地とされる山間の中に茶畑が広がる集落の中に位置しています。
参道入口に鳥居はなく、北に向かって茶畑を分けるように真っ直ぐに伸びる参道がとても美しく、またその奥に建立された入母屋造りの拝殿の瓦屋根とのコントラストが印象的で、逆に鳥居がないことでそのロケーションが演出されたのかもしれません。
参道途中の神橋を渡ったところで背の高い台座の上で肥前狛犬が迎えてくれたのですが、台座と思っていたのは実は台風で倒壊した鳥居の柱で、残りの残骸は境内の西側に安置されていました。
佐賀県神社誌要によると、祭神は美都波能賣之神(罔象女命)とあります。罔象女命は日本の代表的な水の神様で美しい乙女の姿をしているとされますが、水害で悩むこの地の災害を鎮めるためにここに祀られたようです。
社頭。参道入口にはお約束の鳥居がないのですが、逆にそれがこの美しい景色を演出していると言ってもいいかもしれませんね。
神社遠景。
茶畑の中を流れる小川に架かる神橋。
神橋を渡ると幟杭と肥前狛犬が迎えてくれます。
なんと背が高い台座なんだろうかと思っていたら、じつは台座と思っていたのは鳥居の柱で、文政11年(1828年)に佐賀県を襲ったシーボルト台風により倒壊したそうです。
阿形の方は「ニッ」と笑っているような表情がとってもユーモラスです。
杏仁形の目と背中側の鬣の感じはよく見る肥前狛犬の特徴がよく表れています。
吽形の背中には「松本惣佐衛門尉」の刻銘が確認できますが、奉納者のお名前なのでしょうか。
入母屋造りの拝殿。瓦や外周はリフォームされたと思われます。
拝殿前には干支が彫られた石灯篭が奉納されています。
向拝下の様子。
拝殿の中の様子。拝殿幕には鍋島抱き杏葉紋が入ります。
村社 川上丹生神社 藤津郡西嬉野村大字不動山
“佐賀県神社誌要”より引用
祭神 美都波能賣之神
此地の形勢より察すれは鹽田川の水源地にて、霖雨到毎に水害を蒙ること甚だしけれは、大和國吉野川上に祭りて雨師の神と仰く、高麗神罔象女神闇靇神を齋き其加護を蒙らんとして創始せし者ならん、社傳記の証すへきなきも、和銅二年の創建なりと云ふ、往古弘法大師諸国托鉢の時此地に来たり、大和國丹生川上の地に似たりと云ひし由傳へあり、領主も神徳を仰き祭田六町餘の寄進ありし由なるも、兵乱の為没収せられたり、寛文二年に寶殿を、寛永七年に拝殿の修築ありたり、明治六年村社に列せらる。
入母屋造り平入の本殿。
拝殿前の手水鉢。
社殿の裏にある「天照皇大神宮」の石碑。
境内西側の石祠群。
その中に一体だけの肥前狛犬ちゃんを発見しましたw
口もとに生えた苔が、なんとなくパグかフレンチブルドックのような顔を思わせますw
境内東側には倒壊した鳥居が綺麗に纏められて安置されていました。おそらくこれが肥前狛犬が乗せられた、シーボルト台風で倒壊した鳥居の残骸だと思われます。
由緒によると、「本社分魂神六社あり。倶に丹生宮と号す。曰く平野、曰く湯之田、曰く下野村、曰く大草野、塩田、鹿島なり。各丹生川、東流の左右を隔てず。乃ち川に依つて而して祀る」とあるそうです。
これを読む限り、どうやら川上丹生神社が本社であると言っているようですが、宮ノ元丹生神社の案内板には、「馬場下宮ノ元に罔象女神を御祭神とする丹生神社が有り、塩田川沿いの丹生神社の総本社である。」とあります。
さて、本社の主張はどちらに軍配が上がるのでしょうか?それでは今日も最後までご覧いただきありがとうございました。
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