こちらの青幡神社はJR筑肥線伊万里駅の北西およそ4kmほどの距離、佐賀県伊万里市東山代町里地区の北東部の街中に鎮座されます。
松浦鉄道の里駅近く、里交差点から平戸市方面に約250mほどの国道204号線沿いに位置しており、国道を挟んだ伊万里湾側には里工業団地があります。
国道に面した参道入り口に社号標が立ち、参道を進むと境内入口には狛犬がいて一の台輪鳥居が立ち、そして拝殿前の二の台輪鳥居をくぐると唐破風付きの銅板葺き入母屋造りの拝殿が建っております。
見どころはこちらの御神木の大楠。推定樹齢は500年ほどなんですが、根回りが27.7メートルと歴史と風格を漂わせる風貌は実に見事です。
そしてじつは境内の南側にも鳥居があり、さらにそこから南に約250mほどの踏切近くにも鳥居が立っております。
社頭。社号標には「山代郷本社青幡神社」とあります。御神木の鎮守の森が由緒ある古社をスッポリと包み込んでいます。
境内入口の狛犬と一の台輪鳥居。
均整のとれた体型の、蹲踞の狛犬さんは安政2年(1855年)生まれの狛犬さんでした。
一の鳥居に掛かるのは「青幡山」の神額です。
正徳元年(1711年)建立の刻銘が入ります。
祭 神 武甕槌神 経津主神 天兒屋根命
御由緒
境内の案内板より
嵯峨天皇の皇子融が源の姓を賜り、融の八世の孫源久が肥前国松浦郷に西下して、松浦氏を称し松浦党の祖となった。久の長子である源直は、久安年間(一一四五~一一五一)に東山代の里に館を設け政庁の鎮守として、一の宮青幡神社、二の宮白幡神社及び宝積寺を創建したと伝えられている。尚政庁の跡の一部と石垣の一部が残っている。(田尻俊三氏屋敷内)亦神社拝殿前の鳥居は田尻三代春種の寄進によるものである。
青幡神社の僧形神座像が僧形八幡大菩薩像であれば青幡神社の前身は八幡社であったことになる。大念仏は八幡社に奉納される雨乞い踊りになる。八幡社は武運長久のほかに雨乞いの霊験があることが知られている。
拝殿前に立つ二の台輪鳥居。
鳥居に掛かるのは「青幡大明神宮」の神額。
銅板葺き唐破風付き入母屋造りの拝殿。
拝殿前の狛犬さん。
拝殿向拝下の様子。「青幡神社」の社額が掛かります。
銅板葺き流造の本殿。
本殿の細工。
御仏堂。
大通智勝仏堂。
石仏群。
末社群。
境内脇の末社。
境内脇の石塔。
御神木のクスノキ。
天然記念物指定の「青幡神社の楠」の案内板。
この大きなクスノキをなんとか納めたいと三分割にして撮影しました。
なんとなく神秘的なエネルギーを感じます。
境内南側の入り口に立つ二の鳥居。
南側の一の鳥居。なんと二の鳥居からは200m以上離れたところにありましたw
参道が一直線に伸びていたのでこの鳥居に気づくことができましたが、ぼんやりしていたらきっと目に入らなかったでしょうね。
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