こちらの賀茂神社はJR筑肥線浜崎駅の東方およそ9kmの距離、佐賀県唐津市七山藤川地区に鎮座され、国道323号線「滝川」の交差点の北を流れる玉島川を挟んだ唐津市立七山小中学校の裏、福岡県との境にそびえ立つ標高805mの浮嶽の山裾に位置しています。
参道入口には「賀茂神社」の神額が掛かる一の鳥居が奉納されており、そこから境内までは数回に分けて連なる石段参道が続き、境内入口に奉納された「加茂別雷神社」の神額が掛かる鳥居を含めると合計五基の鳥居が建立されています。
石段を上ったところと拝殿前に唐津型の狛犬が奉納され、境内の奥に入母屋造の拝殿と本殿が建立されています。案内によると、延暦十五年に京都の上賀茂社及と下賀茂社の御祭神、賀茂別雷命、賀茂健角身命、玉依毘媛命の三柱の分霊を勧請して創建されたとされます。
ここから玉島川を挟み南に1kmほどの滝川地区にも、同じく賀茂別雷命を祀った加茂神社があり、京都の上賀茂神社と下鴨神社に倣ったのではないかという説もあるようですが定かではありません。
社頭。唐津市立七山小中学校の真裏にあたります。
参道入口に建立されている一の鳥居。
「加茂神社」の神額が掛かります。
四の鳥居。
四の鳥居には「橋瀬宮」の神額が掛かります。
最後の石段です。
境内入口に建立された五の鳥居には「加茂別雷神社」の神額が掛かります。
左の柱に「安政四丁巳載三月吉辰」。右の柱には「明治二十九年丙申六月修理」の刻銘が入ります。
境内入口の案内板。
賀茂神社由緒
御祭神 賀茂別雷命
(相殿) 賀茂健角身命 玉依毘媛命
御神徳
◆ 雷の御神威により、厄を祓い災難を除き給う厄除けの神として広く信仰されている。
◆ 賀茂県主族の祖神で、霧に迷われた神武天皇の軍を八咫烏となられ道案内された故事により、交通安全、航空安全の守護神として広く信仰されている。
◆ 母神、玉依毘媛命は沐浴のとき川上から流れ来し一本の丹塗りの矢を授かられたところ、一夜にして御祭神賀茂別雷命を身籠られたとの故事により、子授け安産の神として信仰されている。
御由緒
延暦十五年(七九六年)岡本山城守長種、肥前守に任ぜられ下向した時、京都の上賀茂社及び下賀茂社の御祭神三柱の御分霊を勧請しこの地に御鎮座になった御宮です。
俗ニ伝ヘテ云フ、(仙覚万葉注釈風土記)「景行天皇巡狩ノ時、國造饗膳ヲ奉ワラントスル時、俄ニ天暗冥トナリ昼夜ヲ別タズ降雨雷鳴ス、是ニ於テ勅シテ鳴神ヲ此ノ地ニ祀ラシム云々」とある。
貞観十八年(八七六年)、朝廷より従五位下の神階に叙せられるなど、村内最古の創建になる古社です。
村社 加茂神社 東松浦郡七山村大字藤川
“佐賀県神社誌要”より抜粋
祭神 健角見命 賀茂別雷命 玉依姫命 菅原道真 少彦名命 菊理姫命 大己貴尊
伊弉諾尊 三穂津姫尊 日子坐王命 伊弉冉尊 猿田彦命
仙覚萬葉註譯云、風土記云、松浦縣東有鳴神山、俗傳云、昔者景行天皇巡狩之時、國造奉饗膳、俄然天暗冥、盡夜不別、降雨雷鳴而震動天地、於是令鳴神祭於此地焉云々、是盖當社の起因ならんか、社格を定めらるゝに當り村社に列せられ。明治四十年九月境内を整理し社殿を改築せり。菅原道真外八柱の祭神は合祀により追加せり。
境内へ続く石段。頭上には藤棚が設けてあります。
そして、石段を上りあがったところに待ち受けている狛犬さん。
立尾、垂れ耳、吽形は玉取りの唐津型狛犬です。鬼のような形相で睨みを利かし、胸の部分に横一文字のエッジが立つ独特の造形にまさに唐津型の特徴が現れています。
左の台座に「嘉永五年壬子仲冬吉日」の刻銘、右の台座に「石工棟梁 値賀河内村 徳永龜四郎 嫡子 同 長平 徳永茂 東治正 作之」の刻銘が入っており、値賀石工の匠の技が光っています。
手水鉢(左)と手水舎。
瓦葺き入母屋造の拝殿。
向拝下に提げられた御祭禮と書かれた提灯には赤と青の左三つ巴紋が描かれています。
神牛。
そして拝殿前の狛犬さん。
境内入口の狛犬と同じく吽形は玉取りですが、こちらは比較的近代型の唐津型狛犬です。
台座には「明治廿六年癸巳九月穀旦」の刻銘が確認できますが、石工さんのお名前は確認することができませんでした。
向拝下の様子。
拝殿の中の様子。
瓦葺き入母屋造の本殿。
境内東側に祀られている石祠群。
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