天満宮 佐賀県唐津市和多田天満町一丁目

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唐津市の神社

こちらの天満宮は、JR筑肥線和多田駅から南東に900mほど離れた、佐賀県唐津市和多田天満町一丁目鎮座。国道202号線「唐津市瀬田原」交差点から、松浦川に架かる唐津大橋方面に向かう途中にある「和多田天満町」の信号を左に入った住宅街の中に位置しています。

筑肥線高架の50mほど東側に建つ、県営住宅和多田団地と和多田市営住宅の間にある鎮守の森の入り口に一の鳥居から三の鳥居が奉納され、文久二年の刻銘が入る唐津型狛犬が守護する向拝付きの切妻造平入の拝殿と、木造本殿が納められた流造の本殿覆屋が建立されています。

慶長年間に、唐津藩初代藩主寺沢志摩守廣高が松浦川改修工事を起こし、和多田堤防築造の折りに太宰府天満宮に工事の竣成を祈願し、大工事が無事に終了したことからその御分霊を祀ったとされます。

社頭。

一の鳥居に掛かる「天満宮」の神額。

二の鳥居。

二の鳥居に掛かる神額。

左の柱に「宝暦九己卯年八月吉日」、右の柱に「奉寄進」の刻銘が入ります。

手水舎。

水無しの神池。

三の鳥居。

三の鳥居の神額。

御神木と社号標。御神木の前には案内板が設置されています。

慶長年間唐津城初代城主寺沢志摩守廣高が松浦川改修の大工事を起し、和多田堤防築造の時、太宰府天満宮に工事の竣成を祈願して無事終了したので謝恩の為此の地に其の分霊をかしこみ祭り、永世鎮護の神と仰ぎ神田八反を奉納した。のちの水野候の頃、神田は取り上げられたが、里人は尚、産土神として崇拝衰えず社格制度にあたり明治六年村社に列せられた。明治四十一年六月神の浦の厳島神社を合せ市杵島姫尊を合祀された。

境内案内板より

拝殿前に奉納された唐津型の狛犬。眼球と牙には金色の彩色が施されています。

左の台座に「文久二年壬戌仲冬」の刻銘、右の台座には「値賀河内村 石工 徳永茂東治 同 重兵衛」の刻銘が入ります。

向拝付き切妻造平入の拝殿前には三対の石灯籠が奉納されています。

拝殿の中の様子。

長押の上には三枚の奉納絵馬が掛けられ、幣殿の奥には梅鉢の紋幕が掛かる木造本殿が祭られているのが見えます。

流造の本殿覆屋。

本殿覆屋の横に設けられた藤棚。

同じく本殿覆屋の裏にある土俵。

西側の境内入口に建立された鳥居。

県営住宅側から見た神社遠景。

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