鎮守神社 佐賀県鹿島市音成母ヶ浦

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鹿島市の神社

こちらの鎮守神社は佐賀県鹿島市音成母ヶ浦地区の集落、道路幅の狭い生活道路沿いに鎮座されています。

国道207号線から南に入り音成地区に行くのですが、JR長崎本線のガード下の道路がまた極端に狭いので、地元の住人の方の車と鉢合わせしないよう普通自動車は注意が必要です。

車の運転に自信のない方は、七浦小学校音成分校近くの母ヶ浦川沿いの道路から入り、宝聚寺から右折して橋を渡るルートをチョイスするといいかもしれませんね。

神社入口と一の肥前鳥居。

入口のすぐ右側には公民館があるのですが、そこにはなぜか「母ヶ浦公民館」と書かれていました。

ここは音成という地区のはずなのにどういうことなんだろうと不思議に思っていたのですが、あとで境内の由緒書きを見てその謎が解けましたw

一の鳥居には「鎮守大明神」の神額が掛かります。

石段参道。

二の台輪鳥居とそこに掛かる「鎮守神社」の神額。

瓦葺き入母屋造りの拝殿。

鎮座地 佐賀県鹿島市音成1228

御祭神 瓊瓊杵尊ににぎのみこと

御由緒 七浦の各地区には、鎮守神社と名の付く神社がいくつかあって、いずれも瓊瓊杵尊ににぎのみこと
祀っています。鎮守神社は、集落の開拓と発展に関連した、氏神や産土神うぶすながみなどの地域神としての性格が強いものです。
 母ヶ浦ほうがうらの鎮守神社の由緒は良く分からないものの、天文てんぶん2年(1533)に浜の松岡神社の社家であった染川氏が、天正てんしょう年間(1573~1593)に社殿を改修したと伝わります。七浦海岸は、元来山が直接海に迫る入り組んだ地形で母ヶ浦地区も近世に入った天正2年(1574)に潮土井しおどいを築造してから田園が拓け、以来民家が数多く集まって集落が発展しました。人びとは、山海の幸に恵まれたこの地を「宝ヶ浦ほうがうら」と呼び、後に現在の「母ヶ浦」の字をあてるようになったと古い記録は伝えています。
 毎年9月の第2日曜日に開催される秋祭りには、母ヶ浦の面浮立めんぶりゅう(県指定重要無形民族文化財)などが奉納されます。母ヶ浦の面浮立は、踏み歩みを主体とする勇壮な面浮立の代表で、鬼面芸として最も完成された芸と構成を持っているとされています。

境内の案内板より

昭和11年(1936年)3月3日、桃の節句に誕生した蹲踞の狛犬さんですが、阿形の方は残念ながら尾が欠落していました。

阿形は頭が大きく筋肉質でとても雄々しい感じです。この狛犬さんを見ていると阿形が牡で、吽形が雌なのではないかと思えて仕方がありませんw

石工は「久間村彫刻師 永淵春次」との銘があります。調べてみると、久間村というのは藤津郡久間村のことで現在の塩田町にあたります。

ということは塩田型の狛犬さんのようですね。

拝殿の向拝下の様子。

拝殿の中の様子。

幣殿と本殿。

本殿。

石祠等。

境内の様子。

こちらの鎮守神社では肥前鳥居が見られました。

そして、雌雄のつがいのような塩田型の狛犬さんとも出会えました。

さて、次はどんな出会いが待っているのかますます楽しみですw

それでは今日も最後までご覧いただきありがとうございます。

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